実は、ありがたい日々でした


鈴木浩(暮らしの映像社代表)

はじめに

新型コロナウィルスのパンデミックは収まりそうもありません。

仕事ができなくなりました。人と気軽に会えなくなりました。

団地の『憩いの家・映画鑑賞会』も中止が続いています。

今までできていたことができなくなり、この先どうなるのかという不安が募ります。

思うように外出ができないことのストレスも感じます。しかし、感染のリスクを抱えながら働いている看護師さんをはじめ医療従事者のことを考えると、自分自身の不安やストレスなどは取るに足らないものという気持ちになります。

 

コロナ禍というけれど…

コロナ禍というけど、コロナは本当に「禍」(わざわい)だけをもたらしたのでしょうか?

コロナの「おかげ」といえるものは何もないのでしょうか?

コロナの日々の自分自身を振り返ってみました。

 

散歩のありがたさ

外出自粛の要請、STAY HOME、で時間がたっぷりできました。

かみさんの仕事もコロナ休業になったので近所を一緒に歩くことにしました。

私ひとりで歩く時は、運動不足解消のため、ひたすら歩くウォーキングです。

かみさんはウォーキングというより、散歩。周囲の自然を見ながらゆっくり歩きます。歩くペースが違います。「老いては妻に従え」私も散歩ペースにしました。

一人で歩く時は、周りの様子にはあまり気を止めず、せかせかと歩いていました。

彼女は違います。花々や木々、鳥たち、池の鯉にも声をかけながら歩くのです。

道ばたの花たちに「えらいなあ、こんな所で文句も言わずに咲いている。がんばれえ!」

鳥たちには「いい声!もう一回鳴いてみて」などなど。散歩コースに大きな蕾をつけた木を見つけました。「何の木かしら?」それは朴木(ほうのき)であることが分かりました。散歩はほぼ毎日なので、その蕾の変化を見るのが楽しみになりました。「もうすぐ咲くわね」「咲いた!」「もう枯れ始めた」こうして朴木の蕾が花開き散っていくまでを愛でることができました。自然の移り変わりをこれほど細かく観察しながら散歩することは、いままでの私にはなかったことです。ありがたいことです。

 

人と出会うありがたさ

かみさんは自然だけではなく、出会った人にも「こんにちは」と声をかけます。

散歩中の犬を見ると「かわいい!」公園で作業している人には「おつかれさまです」とそんな調子です。知らない人に声をかけることに、私は、はじめのうちは戸惑いもありましたが今は慣れました。やってみると案外楽しいものであることに気づいたのです。

鶴ヶ島市運動公園へ続く雑木林の小径を歩いていた時のこと、一人のおじさんが雑木林の小径にキャンバスを立ててスケッチしているのに出会いました。絵を描くのを中断させてしまうのは申し訳ないので、その時は邪魔にならないように黙って通り過ぎました。数日後、またその方と出会いました。道具をしまいかけていたので、かみさんの「こんにちは」が出ました。コロナで不安な日々の中、ひとり静かに雑木林の中でスケッチをしているその姿がとても素敵に感じられたので、その思いをお伝えしました。話が弾み、スケッチの作品展の時はお知らせしますということになり住所交換。数日後なんと雑木林の小径をスケッチした絵ハガキが送られてきたのです。「こんにちは」がなければ生まれなかった出会いです。私たちは今その方からのスケッチ展の案内が来るのを楽しみにしています。これもまたありがたいことです。

 

コロナの「おかげ」

テレビのニュースや情報番組はコロナの不安をまるで煽るように連日伝えてきます。

ゆっくり散歩する時間を与えられたことで、不安に振り回されて我を見失うことは避けることができました。自然と触れ合う喜び、人と出会う嬉しさ。大切なことは、どこか別の場所にあるのではなく、意外に身近にあることに気づきました。コロナの日々は私にとって実は「ありがたい日々」でもあったのです。コロナは「禍」(わざわい)だけをもたらしたのではない。コロナの「おかげ」というのもあるのだと思うことにしました。

 


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