佐藤真理子
ひとりのみどりごが私たちのために生まれる。ひとりの男の子が私たちに与えられる。主権はその肩にあり、その名は「不思議な助言者、力ある神、永遠の父、平和の君」と呼ばれる。その主権は増し加わり、その平和は限りなく、ダビデの王座に就いて、その王国を治め、さばきと正義によってこれを堅く立て、これを支える。今よりとこしえまで。万軍の主の熱心がこれを成し遂げる。
(イザヤ書9章6~7節)
聖書をはじめて通読したときの感想は「主が生きておられる」という言葉が聖書には何度も登場するということでした。特に、旧約聖書を読んでいるとき、その印象を強く受けました。そして、私がキリストを信じたのも、実際に主が生きているということを肌で感じたからでした。
信仰生活を続けていると、時々「主が生きている」ということを忘れそうになってしまうことがあります。しかし、忘れそうになると、試練の克服やいろいろなことを通して「ああ、やはり主は生きておられるのだ」と思い出させてもらえる喜びの瞬間があります。
主が生きているということを一番実感するのは、人の心に変化が起こる時です。人の心の変化は、この世に起こることの中で最も大きな奇跡だと思います。どんなに言葉巧みな説明で相手を納得させようとしても、相手の心が開かれていなければ、伝えたいことは伝わりません。人が理解しあうこともお互いに理解しようという気持ちなしには起こりません。主は、人の心に働きかけます。主は生きて、主の愛で人の心に変化を起こすのです。
人は皆、主が造られた尊い唯一無二の存在です。しかし創世記を読めば、また生きてこの世界を体験していればわかる通り、人には罪があります。生きていると時には罪によって悲しい経験をすることがあります。歴史やニュースを見ても、罪の結果を目にすることはよくあります。しかし、生きておられる主がいる限り、罪が勝利することはありません。神様の愛は、人の心を変えるほどの強力な力を持っているからです。
人と人との関係は、罪に飲まれてしまうと亀裂が入ります。相手の悪い部分が目につき、相手を恐れ、信頼を失い、裏切るような行動をとってしまう、そのようなことが起こったとき、人と人との関係は崩れてしまいます。しかし、主が心の中で働くと、罪を自覚するように人は促されます。罪を認めると、悔い改めることができます。人の罪のために十字架にかかったキリストが人の心に働くと「赦し」が心の中に起こります。そのようにして、人の関係は修復され、お互いに信頼を取り戻すことができます。主は、人間を罪に飲まれさせず、愛の中に引き戻す、まさに「救い主」なのです。
イザヤは、キリストの生まれる約700年も前にキリストの預言である冒頭の聖句を掲げました。預言通りキリストは誕生し、まさに、いま私たちの生きている世界の王となられました。まさしく、キリストの存在は現実なのです。
人は一人ひとり様々な世界観の中で生きています。「世界は怖い、人間は怖いものだ」という世界観の中で生きていると、人を疑い、信頼関係を築けず、何かに怯えながら生きることになります。しかし、真実は違います。絶対的な愛で私たちを愛してくださる神様が存在しているのが、私たちの生きる本当の世界です。神様の愛は、何があっても私たちを愛し続ける、信頼に値する愛です。神様は、ご自身が創造されたすべての人に、その愛を経験してほしいと願っています。
私自身、悲しいことがあると、もう何も期待せず厭世的に生きたほうが楽なのではないかと感じてしまうことがあります。しかしそのたびに、時が来ると必ず神様が働いて、私自身の心や周りの人の心を動かしてくださったり、状況に変化が起こったり、それまで分からなかったことが明らかになったりして、主は生きておられるということをはっきりと示してくださるのです。そのようなことを通して「全ての人を通して働く、生ける主を信頼するように」と神様は伝えてくださっています。また、そのように主の愛が示されたとき、私自身も、自分の中にある罪を自然と認められ、硬い殻が破れて中から温かい気持ちが溢れ出るような、喜びの経験を何度もしました。
聖書を読めば分かる通り、神様は、人がいくら神様を失望させるような行動をとっても、人に期待し、人を救おうとし、愛し続けています。創世記に記されているとおり、神様は罪に陥った人間に救い主の誕生を約束してくださいました。旧約聖書を読むと、それ以降何度も人間は神様を失望させるような行動をします。しかし、神様はその初めの約束を完遂させてくださいました。人がどんなに裏切っても、神様は約束を変えず、人の罪を代わりに背負う者として、人を赦すために、救い主を送ってくださいました。
だから、私たちも、何があっても、どんなに傷ついても、人を信じて、赦し続ける存在になる必要があります。勿論努力では不可能です。神様を求め、神様の愛を経験することで、人を愛する勇気を得ることができます。そして、人を信頼し愛する、その選択が正しかったことが証明される日は必ず来ます。人の中に主は生きて働くからです。
クリスマスは、主が約束を成就させ、世界をキリストの支配する地へと導いてくださった喜びの時です。
主は生きておられます。私たちの主観がどうあれ、それは現実なのです。だから、必ず主はあなたにご自身を顕してくださいます。失望しないでも大丈夫です。道が見えなくても、神様には見えています。あなたを本当に幸せにする願いは、必ずきかれます。主は生きて働かれ、予想を遥かに超える素晴らしいことをあなたのために成し遂げてくださいます。
佐藤真理子(さとう・まりこ)
東洋福音教団所属。
上智大学神学部卒、上智大学大学院神学研究科修了、東京基督教大学大学院神学研究科修了。
ホームページ:Faith Hope Love
Faithさん。
こんにちは。名越信幸です。
魂に響くメッセージありがとうございます。
私は、現在、教会の礼拝には出席しておりませんし、オンライン礼拝にも
参加していません。Faithさんのメッセージに養われています。
いつもありがとうございます。
「生きておられる主がいる限り、罪が勝利することはありません。神様の愛は、人の心を変えるほどの強力な力を持っているからです。」アーメン。♰