心に刻まれたタトゥー:無限大のいつくしみの力3


本連載は、イエズス会のグレゴリー・ボイル(Gregory Boyle)神父(1954年生まれ)が、1988年にロサンゼルスにて創設し、現在も活動中のストリートギャング出身の若者向け更生・リハビリ支援団体「ホームボーイ産業」(Homeboy Industries)(ホームページ:https://homeboyindustries.org/)での体験談を記した本の一部翻訳です。「背負う過去や傷に関係なく、人はありのままで愛されている」というメッセージがインスピレーションの源となれば幸いです。

 

ギャング出身*の親しい仲間たちにささげる(*訳注:「ギャング」とは、低所得者向け公営住宅地等を拠点に、市街地の路上等で活動する集団であるストリートギャングを指します。黒人や移民のラテン・アメリカ系が主な構成員です。)

 

グレゴリー・ボイルGregory Boyle(イエズス会神父)

訳者 anita

序 ドローレス・ミッションとホームボーイ・インダストリーズ(産業)(Homeboy Industries)について 2

 1992年にホームボーイ・ベーカリーを開業しましたが、その7年後の1999年10月に全焼しました。午前3時にパニックがかった声の電話でその知らせを受けました。現場に到着すると、ベーカリーは数台の消防車に囲まれ、ホースで四方八方に放水され、炎が高く舞い上がっていました。公営住宅地区の通り向かいに住む婦人たちが私を迎えて抱きしめました。彼女たちは、涙ながらに、夜が明けたら食品バザーを開いて資金集めを始めると言ってくれました。

 ある少女は泣きながら私をハグし、「G(ジー)、心配しないで。洗車のバイトをしてお金を集めるわ」と言いました。

 ぶっちゃけると、最初は放火が原因だと思っていました。ただ私がこう発言すると、「ギャングメンバーがやったと言っている」と誤解する人が多いのですが、それはつゆほども思いませんでした。ホームボーイ・ベーカリーは、郡内の全ギャングメンバーの希望のシンボルでした。彼らがセカンドチャンスの場を燃やすなど理に合わないことです。

 しかし活動当初、私たちにはたくさんの敵がいました。ギャングメンバーを支援することは、彼らの悪行の連帯保証人になる行為だ、と思っていた人々です。嫌がらせの手紙、殺人予告、爆破予告は日常茶飯事でした。これは特に、私がロサンゼルス・タイムズ紙に論説コラムを書いた後に起こりました(そしてちょうど火災直前に寄稿したばかりでした)。

 ホームボーイの存在そのものに反対する者から敵意を一身に浴びていたこの時期、自分たちに向けられた辛らつな批判を受けて、営業時間外に流す自動応答メッセージを次のように変えるべきだね、と私たちは冗談を言い合っていたものです。「ホームボーイ産業にお電話いただき誠にありがとうございます。お客様の爆破予告はとても大切です」

 ある時、私のオフィスからギャング出身の女の子が電話応対している声が聞こえました。彼女は、電話口に向かって「その爆弾を持ってきな、このクソッタレ。てめえの相手はいつでもしてやる」と言っていました。

 私は彼女に、誰からの電話かとたずねました。

 彼女は、受話器を手で覆うと、閉口した様子で「ここを破壊したいどこかのマヌケよ」と応じました。

 「えーとね、その、『どうぞ良い一日を、そして神さまのお恵みがありますように』でいいんじゃないかな」と私は彼女に伝えました。

 ベーカリーの火災当日、私が現場に着いてから1時間以内に、消防関係者は火災の原因が「自然発火」によるものだと断定できました。何と言ってもこの建物は築80年で、ひと昔前の配線を利用していました。電気ショートが壁内を伝ってベーカリーのオフィス内に長年たまって浸み出し、やがて全体が破裂したのです。

 ただもちろん、火災が発生してから30分間は原因がまったく分からなかったわけで、この原因不明な状態の時に、アイルランド系のしわしわ顔の消防関係者が一人、私に歩み寄ってきました。

 「ここのオーナーですか?」と彼は聞きました。彼の背後では、ベーカリーの屋根から炎が勢いよく燃え上がっていました。

 「はい」

 「えー、この火災を起こしたかもしれない人に心当たりは?」

 「ありません」

 「えー、その…不満を抱える元従業員とかいませんでしたか?」

 「いいえ」と私は答えました。「不満を抱える従業員は全員、まだ私の下で働いています」

 この消防関係者にはその必要はなかったのかもしれませんが、私はこの緊迫した雰囲気を和らげたかったのです。彼はニコリともしません。

 「ご存じですか、ベーカリーが建っているこの地域はですね…」と周りを見渡しながら彼はささやきました。「実は…チンピラどもがいることで有名なんですよ」

 まるで私がショックを受けるとでも思ったようです。

 私は彼に言いました。「まあ、私たちは大丈夫だと思いますよ。なんせホームボーイ産業では…」と、今度は私が声をひそめました。「チンピラどもしか雇わないんですから」

 ここでも、笑顔は一切ありません。

 翌日、私たちは、パン焼き職人たち全員に火災について伝えることができましたが、一人だけ連絡が取れませんでした。レンチョという男の子です。レンチョは、自分のシフトの開始時間に、バスから降りてきました。きちんとアイロンがけされた真っ白な制服を着て。片方に「ホームボーイ・ベーカリー」の文字が、そしてもう片方には彼の名前の「レンチョ」の文字が刺しゅうされています。駐車場に向かう彼の足取りは軽やかです。

 ただ、敷地内に一歩入った瞬間、消防士たちによってビショビショにされた状態に気づきました。屋根の大きな穴からはまだ煙が上っています。敵のギャング出身である同僚たちが全員、がれきをいじって物を拾っています。彼はこれらをすべて見ました。説明無用でした。彼は凍りついたように立ち尽くし、両手で頭を抱えてむせび泣き始めました。

 ベーカリーこそ、彼が朝起きる理由でした。そして同じくらいに大事だったのは、このベーカリーが、出勤前夜にギャング活動をしない理由でした。元敵同士の同僚たちと共有していた一体感は、家族や自分のギャング内で感じていた絆よりももっと深いものでした。私たちにできることは、ただ愛を込めて彼をとり囲み、再建を約束することでした。

 10年後、彼は戻り、新生ベーカリーで働いています。

 

TATTOOS ON THE HEART by Gregory Boyle

Copyright © 2010 by Gregory Boyle

Permission from McCormick Literary arranged through The English Agency (Japan) Ltd.

本翻訳は、著者の許可を得て公開するものですが、暫定版です。

 


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