本連載は、イエズス会のグレゴリー・ボイル(Gregory Boyle)神父(1954年生まれ)が、1988年にロサンゼルスにて創設し、現在も活動中のストリートギャング出身の若者向け更生・リハビリ支援団体「ホームボーイ産業」(Homeboy Industries)(ホームページ:https://homeboyindustries.org/)での体験談を記した本の一部翻訳です。「背負う過去や傷に関係なく、人はありのままで愛されている」というメッセージがインスピレーションの源となれば幸いです。
ギャング出身*の親しい仲間たちにささげる(*訳注:「ギャング」とは、低所得者向け公営住宅地等を拠点に、市街地の路上等で活動する集団であるストリートギャングを指します。黒人や移民のラテン・アメリカ系が主な構成員です。)
グレゴリー・ボイルGregory Boyle(イエズス会神父)
訳者 anita
「今日…わたしと一緒に…楽園にいる」(ルカ23・43)(引用:新共同訳聖書)
はじめに
思い返せば、かれこれ10年以上、この本を書こうとしてきたように思います。周りからは口々に本を書くことを勧められてきましたが、執筆するための規律正しい姿勢(と、まとまった時間)が自分にはないと思ってきました。積み重なった体験談やたとえ話はすべて、自分の頭の中の「パブリックストレージ」に大事にしまわれていますが、これらを永久保存する場を長年探し求めていました。これらの体験談の「入れ物」として通常使われるのは、25か所もの拘置所(少年鑑別所、保護観察所、少年矯正監督施設)で行うミサ中の神父の説教です。3つの体験談を使って聖書の福音箇所を説明し、そしてその後、いつも聖体拝領の前にもう1つ体験談を話しました。保護観察所でのあるミサの後、少年の一人が私の両手をつかみ、私の目をじっとのぞき込みました。「これがこの保護観察所での最後のミサのはずなんだ。月曜日に家に戻る予定だぜ。あんたの話は好きだったよ。また…あんたの話を聞く羽目にならないようにしたい」
刑務所における司牧活動のほか、私は、年間200回近く、ソーシャルワーカー、警察官、大学生、教会の小教区のグループや教育関係者に向けて講演しています。数々の体験談は、ここでもお披露目されます。本書では、これらの体験談は、各テーマのしっくいをまとめてくれるレンガとしての役目を果たしてくれます。うまくいけば、これらの体験談は、自分の視野をせばめてしまう囲いから私たちを引き上げて、視界を広げてくれるでしょう。最近、癌(がん)と鉢合わせた私は、死が私を例外扱いしてくれないかもしれない、と思うようになりました。誰一人、死から逃れられないと気づいた私は、イエズス会の上長であるジョン・マクギャリー管区長に、4ヶ月のサバティカル(長期休暇)を申請し、同師から寛大な許可をもらってからイタリアへと旅立ちました。以下のページにところどころ、イタリア色の名残が見られるのはそのためです。
本書が目指していないものを、ここでいくつか挙げておきます。本書は、これまで20数年にわたってギャングメンバーとかかわってきた私の回想録ではありません。つまり、年代別に順を追って進むわけではありません。ただ、ドローレス・ミッション教会や、ギャングの若者の更生支援団体であるホームボーイ産業(Homeboy Industries)の誕生と創立当初の様子については概要を簡単に説明します。この説明は、これからお話しする体験談が意味を持つためには、「門前で」行わなければなりません。読者の皆さんには、セレステ・フレモンが書いた『G-Dogとホームボーイズ』と題する本(訳注:日本語訳は未刊)をご紹介したいと思います。同書は、ドローレス・ミッションでの初期の頃に関するとても充実した内容の記録です。1990年代のはじめに、ギャングのコミュニティで、男女の若者たちがギャングの抗争の中でもがく姿が克明に描かれていますが、ギャングに関する現代社会学の長期研究として今ますます重要さが増しています。なお、近年でも2回、著者本人により内容が更新されています(アメリカ全土のギャングの若者たちからは、セレステの本を読んで感銘を受けたという感想が私に寄せられます。「人生で唯一読んだ本だ」と言う子が大半です)。
本書は、「ギャングとどう向き合うか」のハウツー本ではありません。ギャング組織拡大の阻止や介入のために行政側が策定すべき包括的な計画は発表していません。
本書の体験談をつなぐテーマは、当然、私が大切と思っているものばかりです。イエズス会士となってから37年、司祭叙階から25年経つ私としては、神・イエス・いつくしみ・家族的な絆・救い・あわれみ・互いの存在を喜び合う共通の招き、という各テーマから離れてこれらの体験談を語ることはできません。体験談の根底に流れる挑戦があるとすれば、それは、ある人の命は他よりも価値があり、命の重さに差があるのではないかという心の奥底にうごめく私たちの疑いを変えること、ただこれだけです。英国詩人ウィリアム・ブレイクは、「私たちがちっぽけな場所に生まれてきたのは 神様の愛の光を受け止めるため」(「黒人の少年」。(https://blake.hix05.com/Innocence/109black.html引用))と記しています。私たち皆、ただ愛の光を受け止めるのを学ぼうとしているだけなのです。ギャングのメンバーであろうとなかろうと、これこそ全員の共通点です。
さて、これから私がどのように書き進めるかについて一言。本書のページを埋め尽くす各実話に登場する男女の若者たちの名前は、すべて書き換えました。ただし、その名前が主題となっているエピソードについては別です。あと具体的なギャング名も伏せました。あまりにも深い悲しみ、痛み、死を経験した私たちのコミュニティとしては、本書を通じて特定のグループが有名になることを避けたいと思います。ここに書かれた出来事は、私ができる限り正確に記憶しているものです。もしこれらの実話の中に入るべき内容、人物、微細な輪郭が抜けていれば、ここで先にお許しを請う次第です。
私は、「世界のギャングの首都」であるカリフォルニア州ロサンゼルス出身です。私が生まれ育った地区は、自分が神父として司牧活動をするために約4半世紀の間過ごした地区からやや西部に位置しています。素晴らしい父と母、5人の姉妹と2人の兄弟がいる家庭で豊かに暮らし、カトリック系の私立学校に通い、卒業後は常に仕事に恵まれてきました。「世界一幸せな地」とは、ディズニーランドではなく、ノートン・アベニューの我が家でした。私が10代だった頃、ギャングメンバーの子が近寄ってきて頭をガツンと殴ってきたとしてもギャングメンバーと知り合いになる余地はありませんでした。また、ギャングメンバーを探す探索隊として派遣されたとしても見つけることはできなかったでしょう。こうしてロス育ちのティーンであった私がギャングに入ることは不可能でした。これは事実です。ただし、この事実は、皆さんが本書で出会う若い男女たちと比べて私が倫理的に優れていることにはなりません。むしろその正反対です。本書のページを彩る人たちと比べて、私がもっと高貴で、もっと勇敢で、もっと神と親しい人になる日は来るはずがない、とますますはっきり分かるようになりました。
アフリカには、「人は、他者を通じて人となる」という言い伝えがあります。ギャング出身の子たちが私を本当の私へと帰してくれたことは間違いありません。彼らは、彼らの中に住まうキリストを礼拝することへと、私を忍耐強く導いてくれました。英国詩人のジェラード・マンリ・ホプキンス作の「神に出会える日に神を迎え、理解できたときに神を賛美する」という詩文がここで思い起こされます。
ある時、扱いにとても手を焼いていたギャング出身の子のシャーキーに対する戦術を変え、彼の正しい行いをほめることにしました。今まで私が彼に厳しく当たりすぎていたことに気づいたからです。彼自身は精一杯やっていましたし。そこで私は、彼がとても勇敢で、人生を変えようとしている今の彼の勇気は、ギャングとしての過去の「虚勢」をはるかに上回ることを伝えました。そして「君は人類の中の巨人だ」と断言しました。実際、本気でそう思っていました。この一連の発言を聞いたシャーキーは、天地をひっくり返されたような様子で黙って私をまじまじながめました。「すげえやG(ジー)…それ、オレの心にタトゥーとして刻んでおくぜ」と言いました。
これらの体験談の住まいを探すこのささやかな努力の中で、私たちも、本書の登場人物たちをタトゥーとして心に刻めたらと思います。本書は、ギャングに関係する社会問題の解決を目指していませんが、家族的な絆の輪を広げることは目指しています。さらに願わくは、ギャングのメンバーたちに人間らしい顔を与えるだけでなく、これらのたとえ話に登場する男性たちと女性たちの破綻した生活や大きな困難の中に、私たち自身の傷を認められますように。
私たちが共通して持つ、人をもてなす心は、はみ出し者を迎えるゆとりを探し求めています。神が元来思い描いていたものによりいっそう近いような、今までなかったものをはぐくんでいけば、私たちは本当の自分になれるでしょう。私たちは、愛の光を受け止め合い、目の前で人が人となることを、お互い学び合えるかもしれません。自分自身へと還るために。