余白のパンセ 8 愛犬ピコ


子どものころに動物と遊んだことのある人は、大人になってからその当時のできごとをどのように思い出すのでしょうか。

 

井上洋治神父は小学校3年くらいのときに体験した子猫とのことを書かれています。その猫は「アカ」と呼ばれ、可愛がっていたのですが、アカがあるとき皮膚病にかかってしまいます。井上神父は一生懸命に薬を塗ってやるのですが、一向によくなりませんでした。

ある日、井上神父の母親が家にやってくる御用聞きの小僧さんとアカを捨てる相談をしているのを知ってしまいます。母親は、アカの皮膚病が人間に伝染したらたいへんだと思ったのでしょう、と言いながら、井上神父はアカを助けたいと母親に泣いて頼みました。しかし、それからしばらくしたある日、学校から帰ったとき、アカは家にいなかったのです。

「子供心に、飢えて路地から路地へとさまよい歩いているアカを想像することは辛かった。このとき生まれて初めて、私は本当に『祈り』というものをしたような気がする。もちろん明確に何の神様というようなものがあったわけではない。ただ一生懸命に、家の近くの社(やしろ)の前で掌を合わせたことを覚えている。

今から考えてみると、これは私にとっての『別れ』、『哀しみ』といったような最初の人生の体験であり、また同時に、運命の底にひそむ死と闇への恐怖の感情の芽生えだったのではないかとも思うのである。」(『余白の旅』)

井上神父のアカとの体験を読みながら、私が体験した愛犬とのことを思い出していました。

 

 

私の家にピコがやってきたのも、私が小学生の3年ごろでした。父親がどこからか連れてきたのです。まだ小さくて、まるでぬいぐるみのような真っ白い雌の犬でした。それから、毎日ピコとの遊びがはじまりました。学校から帰ると散歩に連れて行ったり、ご飯を上げたり、いつも私の傍にはピコがいました。

だいぶ大きくなったころのことです。散歩の途中で公園に行ったとき、首輪の紐が手からはずれて、ピコが逃げて行きました。といっても、少し駆けて行ったら、こちらを振り向くや、一目散で私のところに戻ってきたのです。

「なんだ、ピコは臆病だなあ」

と言って、思いっきり抱きしめてやりました。

私が中学生になり、それはまた男の子の反抗期のときでもあり、ピコにはだいぶいたずらをしました。ピコと一緒に成長していた私は、気分の悪いときにピコにあたっていたのです。物干し竿でピコの頭をこついたりもしました。それでも、いつもピコは私の姿を見ると急いで寄ってきました。

私の住まいは新宿区の西大久保にある木造の都営住宅でした。近所にはピコのようなスピッツという犬を飼っている家がけっこうありました。よく吠えるので番犬に向いていたからでしょう。いまは、うるさいので人気がなくなりました。

東京オリンピックの年には、大空に描かれた五輪を見ることができました。近くの国鉄アパートの給水塔から見た、五輪の大きかったのを鮮明に覚えています。そういう世の中が経済成長に向かって突き進んでいる時代に、ピコが亡くなりました。保健所の人からは、寿命ですと言われました。

保健所の人がピコを連れ去って行くとき、なぜか涙は出ませんでした。それは、ピコにいたずらをしたことへの後悔で一杯になり、ただ茫然としていたとしか言いようがありません。

今年に古希を迎えた私は、ピコを想います。そしてただ一言

「いたずらして、ごめんね」

とお詫びしたいのです。

私にとっても、ピコの死が「別れ」と「哀しみ」の体験であり、こんど天国で会えたなら、また思いっきり抱きしめてあげたいと思っています。

鵜飼清(評論家)

 


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