FATAがやってきた 10


あき(カトリック横浜教区信徒)

 

「FATAがやってきた」を読んでいただいてありがとうございます。

個人的なことで恐縮ですが昨年暮れ、孫(次男)が誕生しました。

コロナ禍の中、病院の先生もいろいろ気を遣っていただき、無事に誕生することができました。東京在住の娘たち夫婦には、ちょうど2歳になったばかりの孫(長男)が一人います。保育園の送り迎えなど、てんやわんや。猫の手も借りたいとのことで、猫の代わりに妻がお手伝いに行くことになりました。

気が付いたら一人年末。結婚してから初めての記憶に残るものとなりました。

そんな年の瀬のある日の夕方。

妻から緊急の電話。 用事を仰せつかった私は、まずは欠かせないFATAの散歩をすませた後、バタバタとエサを準備して「ちょっと行ってくるからね。」とFATAに声をかけると、その慌ただしさのためか「何かいつもと違う」と感じたのでしょうか。FATAはエサにも口をつけず、定位置のソファの背もたれにちょこっと座り私を見つめていました。

「FATAごめんね。帰りは遅くなるからね。大人しくしているんだよ。」と忙しく家をでたのが、夕方6時ころだったでしょうか

娘の家に行き、孫(次男)の顔を初めてみたわたし。孫(長男)と遊んだり、ご飯の介助をしたりして時間はどんどん過ぎていきました。

やっと作業が終わって帰宅したのが10時過ぎ。

玄関を開けて家に入るとやけに静かです。

「FATAごめんね。いま帰ったよ」と居間のドアをあけると、なんとFATAは、私が行った時のままと同じ様子で、ちょっと首を傾げてじっとこちらを見つめていました。

いつもは元気なFATA。どうしたんだろう。

わたしはそんなFATAの仕草がとても愛おしく感じました。咄嗟に「FATA」と声をかけて近づくと、わたしの腕の中にジャンプ。

にやけた顔で私を見つめます。

もっとびっくりしたのは、行く前にあげたエサに口をつけていなかったことです。

きっといつもと違う何かを感じてじっと待っていたのでしょう。

FATAの優しい心中を感じることができました。

少し落ち着いてFATAと遊んでいるうちにいつもの瞑想。

広い真っ暗な広大な宇宙の中にポツンと小さな惑星の地球。

その中の同じ時間に人間だけではなく、動物・鳥・昆虫。植物など環境に適応した生物たちが共存しています。

それらはこの一瞬一瞬の時を共有して生きています。

犬でさえ(と言ったら怒られてしまいそうですが)、喜びをもって共に生きています。

FATAのにやけた安心した顔。

FATAの愛を感じました。

コロナ禍の中、一生懸命の医療従事者。

商売が難しくなって苦しんでいる飲食店の人たちやその周辺の人々。

今はとても苦しいと感じている人たち。

そんな人たちに神さまは「大丈夫。わたしはあなたの隣にいますよ。きっとうまくいきますよ」と言ってくれていることを信じます。

同時に私たちができること。どんな些細なことでもいい。心がけることが神さまの愛にこたえることと思います。

一緒に時間を共有している仲間。

少しでもできることを。

互いに支え合うことが神さまの御心に沿うことと思いました。

さて、「FATAがやってきた」を読んでいただいてありがとうございました。

3年前、同居の母が他界したのと入れ違いに家族の一員となったFATA(第1話ご参照)

FATAを通じて、いろいろなことを瞑想し考えることができました。きっとFATAはこれからもいろいろなことを教えてくれることでしょう。

皆さんの愛を形に示すことができますようお祈りして「FATAがやってきた」を閉じたいと思います。

ありがとうございました。

今は我慢の時が続いています。

ひとりひとりが互いを信じ助け合うことにより、必ず素晴らしい時を迎えることができますように。

おわり

 


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