Laughing Christ 笑えるキリスト像を訪ねて


土屋至(聖パウロ学園高校宗教科講師、SIGNIS Japan 代表)

中1の「宗教」の授業で「弟子たちのプロフィール」という授業をする。例えばペトロについて書いた聖書の箇所を選び、そこをグループで読んでペトロの生い立ち、年齢、教養、性格などを推定してみるという作業をする。グループで絵の得意な生徒には似顔絵やその場所をイラスト風に書いてもらう。

それをまとめてプリントにして次の授業で配る。こんなプリントができる。よく読んでみるとけっこうおかしい。

「福音書にはイエスが笑ったとかかれているところはないといわれているが、このなかにイエスが笑ったであろうと思われるところはないかな?」と聞くと、次の二つの箇所が上がってくる。

一つは最後の晩餐のまえのイエスが弟子たちの足を洗うところ(ヨハネ13章1~10節)。イエスがペトロの足を洗おうとしたときに、ペトロが「わたしの足など、決して洗わないでください」というと、イエスは「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」という。ペトロは「主よ、足だけでなく、手も頭も」という。

ペトロのお調子者の姿がよく出ていて、イエスもここは笑ったであろう。苦笑に近いと思うが。この場面、中1のある生徒がこんなイラストを描いていた。

女の子が描いたイラストでイエスもペトロも女の子にしか見えないのだが、左側の絵の「吹き出し」に「めっそうもございません」とかかれていることに、「今の子どもがこんな言葉を知っているんだ」ということにまずおどろき、この場面に全くふさわしい表現だと感じ入ったのである。

イエスが笑ったであろうもう一つの場面は「ヤコブとヨハネの母の願い(マタイ20章20~28節)」のところである。ヤコブとヨハネの母親、つまりゼベダイの妻がイエスのところにやってきて「王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください」とお願いする。「ほかの十人の者はこれを聞いて、この二人の兄弟のことで腹を立てた」とも書かれている。

これをきいてほとんどの生徒はヨハネとヤコブの母親の教育ママぶり、過保護ぶりにあきれて笑う。福音書にこんなことが書かれているなんてみょうに現代風である。イエスもここは苦笑したに違いない。弟子たちのあまりの低次元さにあきれて苦笑いもいいところであっただろう。

「Laughing Christ」でインターネットを検索してみると、結構たくさんの「笑えるキリスト像」がでてくる。このなかで特に真ん中のイラストは1985年のフィリピン市民革命の時に町中にあふれていたものらしい。生徒に言わせるとひげだらけでむさいとか汚ならしいとかいうことになってしまうが、このように高らかに笑うイエス像は当時はとても新鮮であったに違いない。

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

sixteen + one =