まことの光 ヨハネの福音書1章9節


佐藤真理子

すべての人を照らすまことの光が世に来ようとしていた。

ヨハネの福音書1章9節

 クリスマスは、イエス・キリストの誕生を祝う時です。世界の初めから長い間待ち望まれた救い主です。キリストは私たちを罪と死から救い出すために世に来られました。確かにこの世には悲しいこと、醜いことがあります。生きていれば嫌でもそれを経験します。歴史や日々のニュースを見ても、悲しいことや醜いことは絶えずどこででも起こっています。

 しかし、その全てに打ち勝つことのできる方を、神は私たちに贈ってくださいました。それは神の私たちに対する結晶が人となり地上に来られた、イエス・キリストです。神は愛です。愛ほど強いものはありません。

 悲しみ、憎しみ、偽り、妬み、悪の力は時に強大に思え、時に私たちは失望しかけることもあります。しかし、愛はそのすべてに打ち勝つのです。キリストは世の光となって私たちのもとへ永遠のいのちを届けるために来られ、死をも打ち滅ぼしました。

 

 イエス様は赤子の姿で世に来られました。決して近寄りがたい存在になることなく、「私のもとへ来なさい。」とご自分から私たちのもとに歩み寄りました。この世的な栄誉を求めるのではなく、いつも愛に満ちた正し

いことをしていました。その結果、罪の無いこの方は、多くの人に憎まれ十字架につけられました。しかし、その十字架こそがすべての勝利の源でした。その十字架がすべての人の罪を贖う赦しをもたらし、復活して世の終わりまで私たちと共にいることを約束してくださいました。

 

 今年のクリスマスは、とても良いクリスマスになると思います。

クリスマスになると、毎年教会は忙しくなります。クリスマスにある様々な企画のために、教職をはじめ教会員も奔走することが多くなります。私はそんなクリスマスの姿にいつも違和感を持っていました。「忙しい」とは心を亡くすと書きます。心を亡くす理由は様々です。聖歌隊の練習、愛餐会の準備、交わりの企画、教会学校のイベントの準備、クリスマス礼拝が滞りなくスムーズに行われるよう心を配ること。どれも「クリスマスのためのこと」ではあります。しかし、世に来られ、今生きてこの場にいるイエス様抜きでそれらの事柄が重要になってしまうことがとても多いのです。

 イエス様は、ご自分をもてなそうと忙しく働くマルタに「どうしても必要なことは一つだけだ」と語ります。そのたった一つの必要なこととは、今生きて目の前にいるイエス様の声に耳を傾けることです。

 

 コロナ禍で礼拝の形が大きく変わった今年、本当の信仰とは、また教会とは何か考えさせられた方も多くいらっしゃったのではないかと思います。多くの教会でも本当に必要なことは何かの取捨選択が否応なく迫られた年だったのではないかと思います。

 今こそ「たったひとつの必要なこと」に目を向けるように私たちに伝える神様のメッセージを受け取る時なのだと思います。

 

 今年は大規模な教会の企画を大人数で行うことはできません。だからこそ、心を静め、本当のクリスマスを過ごすことができるのではないかと思うのです。それは、今この瞬間だれよりも近くで私たちと共にいるイエス様の存在を喜ぶことです。イエス様の臨在を深く喜ぶことです。イエス様が世に来られ、復活しなければ、それはあり得ないことなのです。

 

 旧約聖書の創世記にはヤコブが「まことに主がこの場所におられるのに、わたしは知らなかった。」と語る場面があります。これは、私たちにもあてはまることなのではないかと思います。いつのまにか今ここにおられる主の存在を忘れてしまうことが、教会にいてさえもあるのです。いやむしろ、私自身もそうでしたが、教会で多く働く立場にいる方ほど、それは陥りやすいことかもしれません。

 

 イエス様は私たちを深く深く愛しています。そして、神は世界を創造した方で、その方が決して私たちを裏切らず味方でいてくださいます。この事実だけであまりある幸せが得られるのではないでしょうか。愛はすべてのことに勝利します。今苦しみを通っている方も、必ず神がすべてを益として勝利を与えてくださいます。

 

今生きているイエス様と、親しくなんでも話してみてください。布団の中でも、洗い物をしている時でも、移動中でも、いつでもどこでも語り合ってみてください。「神様このことが辛いんです。」「神様どうして私がこんな目に合うんですか。」そんなことをずっと話しているうちに聖霊が働き、心に温かいものが広がってくるのではないかと思います。そして、今自分が生きていること自体の幸せと奇跡に気づかせられるかもしれません。

 

願っていることは何でも神様に話してみてください。もしそれがあなたの本当の幸せにつながるものなら、私たちを大好きな神様は、必ず与えてくださいます。

 

数か月前、友人から、「収束後に、もっと世界が良くなるよう信じて祈っていきたいね。」という手紙が来ました。今のこの時は、まさにその願いが叶えられるための時のような気がしてなりません。私たちにとって本当に必要なこと、つまりイエス様に真の意味で心を向ける機会がまさに訪れているからです。イエス様はすべての人を照らすまことの光、愛です。その方の光に照らされて、温められて今年のクリスマスを迎えたいと思います。

 

佐藤真理子(さとう・まりこ)

東洋福音教団沼津泉キリスト教会所属。上智大学神学部卒、上智大学大学院神学研究科修了、東京基督教大学大学院神学研究科修了。
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