FATAがやってきた7


あき(カトリック横浜教区信徒)

 今日もFATAと散歩。 FATAはリードをつけるとぐんぐん前に私を引っ張っていく。

そんなに引っ張ったら苦しいだろうと思うが、「はあはあ」と大きな息を継ぎながらわたしを引っ張る。自分の思い通りのところまで引っ張っていくと、クンクン嗅ぎ出す。わたしが「行こう!」とリードを引っ張っても今度は梃でも動かない。意思の主張をしているようである。ちょっと思ったようにしてやって、間を開けて、もう一度軽く引っ張ると、するするっとついてくる。

「人間もいっしょだなぁ」とまた黙想に入る。

人はよく自己主張する生き物。

主張が正しい場合もあるが、大概はたわいもないものだったり、理屈がないものだったり。それでも、意地を通そうというように主張を繰り返す。

そんな時、同じスタンスで言い合うと拉致があかない。話がぐるぐる回る。

FATAの場合と同じで、ちょっと緩めて時間をおく。そしてゆっくりと整理すると話が前に進む場合がある。 

ただし人間は犬のように素直ではない。

まだまだプライドにかけて主張を繰り返すことがある。

FATAの場合は、一度緩めて前に進んだ時、また次の獲物を見つけて引っ張ることもあるが、

そんな時に飼い主として断固リードを緩めないで前に進むと、そんなやりとりがなかったかのように、気分良く前を歩きだす。

主張するより、わたしと一緒に歩くことがうれしいと目じりを下げて歩き出す。

変なプライドにかけて無理を通すより、そんなことなどなかったかのように次の目標に向かって歩くFATA。

「人間よりできてるなぁ」と思う。

「なんか生きることに前向きで、仮に思いが通らなかったとしても、次の目標を持って歩く」

おかれた立場を素直に認め、その中で自分にとって一番の最善を尽くす。

コロナ禍の中。時はいつしか秋になり、清々しい風を感じながら、いつもの散歩コースを歩く。

さあ今日も1日が始まる。

「コロナで制限されている状態が続いているが、おかれた環境にめげず、できる限りの最善を尽くし、明るく楽しく暮らしていこう。」 

FATAに教えられた。


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