フラ・アンジェリコ『受胎告知』(プラド美術館)
稲川保明(カトリック東京教区司祭)
フラ・アンジェリコ(Fra Angelico, 生没年1400頃~1455)はその生涯において、少なくとも15の「受胎告知」を題材にした作品を作成しています。これは他の画家には見られない特徴であり、彼がこの受胎告知に対して、特別な関心を抱いていたことがわかります。そのなかから三つの作品を見ていきます。一つめはプラド美術館にある『受胎告知』、二つめは通称『コルトナの受胎告知』、三つめはサン・マルコ美術館にある『受胎告知』です。
今回見るのは、プラド美術館にある『受胎告知』(1425~26年 テンペラ画)です。これはフィエーゾレのサン・ドミニコ修道院の祭壇画として描かれていたものをプラド美術館に移したもので、彼が25~26歳頃の作品です。
【鑑賞のポイント】
(1)タブロー(板絵)の左3分の1を楽園追放のテーマで描いています。アダムとイブの足元には禁断の果実があり、神の不従順、原罪の起源が描かれています。残りの3分の2には、中心から右にかけて、キリストの来臨により破られた旧い契約が、イエス・キリストによって新しい契約が打ち立てられることを表しています。イブのまなざしは、嘆くアダム、さらに天使と聖母マリアの方へ向けられています。EVA(イブ=エヴァ)は「すべての人の母」ですが、これを逆さにすると、AVE(アベ)、つまり「祝された方」となります。これが、キリストはもう一人のアダム、聖母マリアはもう一人のイブといわれる所以です。また、楽園の花園のような庭には草花が描かれていますが、ドイツやフランドルなどの北方ルネサンスの特徴が見られます。
(2)天使と聖母が描かれている建物を見てみましょう。柱廊は、当時のフィレンツェの建築様式を反映しています。コリント様式のアラカンサスの葉とイオニア様式の渦巻き模様を合体させた構図(コンポジット)は、当時のフィレンツェで流行していました。
(3)聖母の顔立ちは「荘厳な雰囲気」で、ビザンチン風の味わい(テイスト)を感じます。聖母の姿勢は、両手を組み合わせ、身をかがめ、敬虔で、慎み深く、S字の優雅な姿で描かれています。
(4)左上方より、金色の光が差し込んでいて、聖母マリアに向けられています。その金色の光の中に、まさしく神のみ手が描かれています。そして、聖母マリアの近くには、金色の光の中に聖霊が鳩の姿で描かれ、今、マリアのところにやってくるということが目に見える形で描かれています。聖霊が鳩の形で表されるのは、イエスの洗礼の時にも聖書の中で語られています。
(5)真ん中の柱のペンテイウム(逆三角形)の部分には、キリストの顔が、この聖なる瞬間を見守るような表情で描かれています。柱は、天地をつなぐキリストのシンボル、十字架のシンボルでもあります。また、柱を補強する金属の横棒に、ツバメらしき鳥がとまっています。ツバメは、毎年春にやってきて、同じ家に巣を作るといわれています。ツバメは春を告げ、新しい生命のしるしとされ、ツバメが来る家は、平和、安らぎ、家族の暖かさ、忠実のシンボルとされています。
(6)天井はドーム型で、ラピスラズリーのブルーと金色の星が散りばめてあります。当時は、神の現存を表すため領域として、聖堂の天井を天の姿、大空になぞらえて、青く塗る習慣がありましたが、この絵の天井も、当時の聖堂のフレスコと同じ色に塗られています。これは、聖母マリアは神殿である、キリストが住まう場所であるというイメージを表現するものです。
(7)大天使ガブリエルに目を向けてみましょう。ガブリエルは、手を組んでいますが、聖母マリアと同じように胸の上で手を組んでいます。聖母マリアが、「わたしは主のはしためです」(ルカ1:38)と敬虔な仕草をしているのと同じように、大天使ガブリエルも「わたしは主に使いに過ぎません」と謙虚な仕草をしています。私独自の解釈ですが、この受胎告知の絵は「大天使ガブリエルがやってきた瞬間」を描いているのではないかと思われます。天使がフワーと降り立ったという描き方で、降りたばかりで周囲の空気が動き、ガブリエルの衣服のスリットにも動きを感じます。また、光の中の鳩の位置を見ると、聖母マリアに向かっている様子が描かれているのがわかります。