マザッチョ『貢の銭』
稲川保明(カトリック東京教区司祭)
6月29日は聖ペトロ・聖パウロ両使徒の祝日を迎えます。その関係でペトロのエピソードをモチーフにした芸術作品を紹介したいと思います。
この絵の作者、マザッチョ(Masaccio, 本名トンマーゾ・ディ・セル・ジョバンニ・ディ・モーネ・カッサーイ [Tommaso di ser Giovanni di Mone Cassai])は1401年に生まれ、1428年にわずか27歳でなくなった芸術家ですが、後世に大きな影響を与えました。それは中世のゴシック的なものと決別し、現実的な人物表現、遠近法的な空間把握、人物の感情を表現するなど、初期ルネッサンスの画風を確立したことにあります。
彼の作品がまとまって見られるのが、フィレンツェにあるサンタ・マリア・デル・カルミニ教会のブランカッチ礼拝堂です。この礼拝堂はスクロヴェーニ礼拝堂がジョット作品の美術館であるように、マザッチョの美術館のようなものです。
この『貢の銭』は彼の代表作となった作品で、1424年にフィレンツェの有力者の一人フェリーチェ・ブランカッチからマザッチョとマゾリーノ(Masolino da Panicale, 1383~1440/47年頃)の二人に依頼されたものでした。この礼拝堂の左右の壁面に上下2段にわたって「聖ペトロ伝」が描かれており、見かけの素朴さを裏切る巧妙な方法で統合されています。
貢の銭とは、マタイ17章24~27節にある「神殿税を納める」の話です。イエスたち一行がカファルナウムに来たときのこと、神殿税を集める者たちがペトロのところに来て言います。「あなたたちの先生は神殿税を納めないのか」と。ペトロは「納めます」と言った。そして家に入ると、イエスの方から言い出します。「シモン、あなたはどう思うか。地上の王は、税や貢ぎ物をだれから取り立てるのか。自分の子供たちからか、それともほかの人々からか。」 ペトロが「ほかの人々からです」と答えると、イエスは言うのです。「では、子供たちは納めなくてよいわけだ。しかし、彼らをつまずかせないようにしよう。湖に行って釣りをしなさい。最初に釣れた魚を取って口を開けると、銀貨が一枚見つかるはずだ。それを取って、わたしとあなたの分として納めなさい。」
【鑑賞のポイント】
(1)異時同画法によって、時間の異なる出来事が一枚の絵に記されています。画面の中央では、イエス・キリストがペトロに「シモン、あなたはどう思うか。……」と問いかけ、湖で魚を釣るように指示を与えている場面が描かれています。画面の左側にはペトロが魚をとらえ、その口から2枚の銀貨を取り出している様子、そして画面の右側にはその銀貨を収税人に渡している場面が描かれています。
(2)マザッチョは一点透視図法、空気遠近法、一方向から差し込む光によるキアロスクーロ(明暗法)などの技法を取り入れ、このエピソードを説得力のある、迫力のある出来事として描き出しています。人物の表現にはジョットの影響が感じられますが、建物の描き方はジョットをしのぐ現実感、立体感があり、これがマザッチョの特徴となっています。