ミサはなかなか面白い 100 キリストから始まる渦(うず)は永遠に


キリストから始まる渦(うず)は永遠に

 

答五郎 こんにちは。さて、このシリーズもこれで100 回、最終回とするね。目下、新型コロナウイルス感染のパンデミック、日本でも緊急事態宣言が発令されて(2020年4月7日)、たとえば外出自粛要請がいっそう強化されることになった。君たちの入信式もやはり延期されたとか。

 

 

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問次郎 はい。当初は関係者のみのへの公開で行うという方針を聞いていたのですが、やはり繰り下げようというふうになったとのことです。

 

 

 

答五郎 そうか、そうか。きちんと皆で祝えるようなときに行われるほうがやはりいいね。しばらく待つというこのときを大切に過ごしていくことにしよう。

 

 

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問次郎 このシリーズを最初から読み直しておこうかと思っているのです。

 

 

 

答五郎 それはいい!(笑顔) お役に立てば幸いというところだな。ところで、ウイルス禍の近現代史を調べてみて、ぐっと感じらさせられることがあるのだ。

 

 

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問次郎 なんでしょうか。そんなにウイルス禍は多いのですか。

 

 

 

答五郎 今から100 年前、1918年から20年にかけて「スペイン風邪」と呼ばれたインフルエンザのパンデミックがあった。聞いたことあるだろう。当時、地球の人口は18億から20億人だったらしいのだけれど、なんと全世界で5~6億人が感染し、死者は5000万人にも上ったといわれている。強毒性のインフルエンザウイルスだったということだ。日本でも当時の人口5500万人に対し感染者数は2300万、死者数は39万から45万ほどもあったという……。

 

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問次郎 想像を絶する数字ですね。でも、世界史であまり大きくは聞かなかったです。第1次世界大戦末期ですよね。この戦争の死者・被災者の規模は甚大であったこと、そして、第2次世界大戦でのそれは、さらにそれ以上だったことはよく教わりますが……。

 

 

 

答五郎 想像を絶し過ぎたのかもしれない。戦争や自然災害を含めても一つの原因で大多数の人が死んだこととしては人類史上最大のものだったというんだ。ところで、今のキリスト教のありよう、教会のありようは、第1次世界大戦後のヨーロッパ世界の変化が大きく作用しているといわれてきた。第2バチカン公会議(1962~65年)もその実りであったとね。じっさい、カトリックの典礼刷新運動というのも盛んになったのは第1次世界大戦後だった。とすると、その変化の要因の一つにスペイン風邪があったのではないかと、感じられてならないのだ。そのことに言及しているものは当時も今もあまりないのだけれど……。

 

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問次郎 もし、そうだとしたら、どんなことに影響があったのでしょうか。

 

 

 

答五郎 あくまで想像だけれど、人間の共同性ということ、キリスト教でいえば、教会が一つのキリストの体であること、神の民であることへの気づきに影響を与えたのではないだろうか。一人ひとりが互いに自発的、能動的に行動しなくてはならないことへの気づきとか……。

 

 

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問次郎 人が集まることによる感染の危険を経験したからということでしょうか。

 

 

 

答五郎 そう、逆にその危険を体験したことによって、人間はいかに共同的なものか、出会い、交流し、触れ合うことで生きているものだということに気づけたのではないかな。そして、命の危険をおしてでも看病したり治療したり、人間は支え合わなくてはならなかったことを経験したのだと思う。その中で、キリストが感染症で苦しむ人のもとにすすんでやって来て、触れ、癒していった姿が鮮やかに思い出されてきたのではないだろうか。実際、救い主キリストを身近に感じようという気運が第1次世界大戦後には高まったのだよ。それは典礼運動の展開とも通じ合っていた。

 

女の子_うきわ

 

美沙  教皇フランシスコの訴えた「すべてのいのちを守る」戦いの中で、戦争やテロや放射能・核といったものと並んで、ウイルス感染症が大きな課題になっていることが意識されていると思いました。

 

 

 

答五郎 第1次世界大戦後、いやスペイン風邪以後、新しい時代が開かれたように、今、出口の見えないトンネルの中に押し込められているような中からも、新しい地平線や景色が見えてくるのではないかな。そのことを待ち望みたいと思うよ。

 

 

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問次郎 いずれにしても大変な年に、ぼくらは入信式を受けようとしているのですね。

 

 

 

答五郎 こういう状況の中で、キリストのことを思いながら、このシリーズで考えてきたことをぜひおさらいして、さらに深めてほしい。簡単に振り返るけれども、ミサとはやはりキリストに尽きる。ミサはキリストだということを覚えてほしい。「ミサ」という名前も「感謝の祭儀」という名前も少し難しいといえば難しい。でも、キリスト教の典礼、礼拝、ミサというものは、究極的にはキリストだということだよ。

 

女の子_うきわ

 

美沙  ミサをささげるとはキリストをささげる、ミサに参加するとはキリストに参加すること、ミサに奉仕するとはキリストに奉仕するということですね。

 

 

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問次郎 キリスト教信仰とミサとは別なものではなく、結局、信仰をもって生きるということと一体のことなのですね。

 

 

 

答五郎 いくつかの目印がミサの式次第の中にあるよ、たとえば、「わたしたちの主イエス・キリストによって」「アーメン」という祈願の結び。何度か繰り返されるだろう。

 

 

女の子_うきわ

 

美沙  はい、集会祈願、共同祈願、奉納祈願、拝領祈願ですね。「アーメン」と応える基本の箇所です。

 

 

 

答五郎 これに、ミサの中心の祈りである奉献文を加えて、五つの祈願でミサの動きを代表させてごらん。キリストによって呼び集められた民としての最初の祈り(集会祈願)、神のことばにこたえてすべての人の救いのために祈ること(共同祈願)、供えものの準備に際して、奉献への思いを告げる祈り(奉納祈願)、そして文字どおりキリストの奉献に信者たちが結ばれていく祈り(奉献文)、キリストの体に一致しての祈り(拝領祈願)……というようにね。

 

女の子_うきわ

 

美沙  そうなのですね。ミサを考えることは、キリストとのかかわり方を考えることですね。

 

 

 

答五郎 ミサの中で一同が告げる「アーメン」をキーワードにしてミサ全体を見るのもいいよ。今の五つの祈りのほかにも、どこに「アーメン」があるかを見ると、ミサの意味、キリストとともになることの意味が浮かび上がってくる。

 

 

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問次郎 でも、そうだとすると、ミサに行かないのは、キリストに会いにいかないということなりませんか。ミサの公開が控えられていてミサに行けないとキリストと関係していないことに……。

 

 

 

答五郎 でも、一方では、キリストは時・所に限らず、いつもわたしたちとともにいるともいわれるだろう。だから、信者は一人でいるときでも生活時間のどんなときでも祈ることができる。逆にそうやって祈るときに、キリストと一緒にいる他の仲間とも一緒にいる実感をもてるのではないかな。

 

 

女の子_うきわ

 

美沙  キリストとともにいる仲間というのは、洗礼を受けている信者だけということでしょうか。

 

 

 

答五郎 それは、大事な質問だ。狭い意味で洗礼を受けている信者の連帯だけを、キリスト教はいっているわけではないよね。入信の秘跡を受けた人だけのことを、神が、そしてキリストが、そして教会が考えているわけではないよ。

 

 

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問次郎 そうか、キリストは救い主で、どんな人にも、とくに苦しんでいる人のところにすすんで来てくれた方でした。そして、そういう人たちをキリストは仲間としていったのでした。

 

 

女の子_うきわ

 

美沙  わたしたちがミサに集まれるときはミサの中で、そして一人でいるときでも、祈りの中でキリストと一緒になれるし、キリストをとおしてその仲間と一緒になれる。キリストが会いに行こうとした人たちとも一緒になれるのですね。

 

 

 

答五郎 「主よ、あわれみたまえ」と祈ってごらん。キリストと出会ったわたしたち、救い主を求めているすべての人たちの顔が浮かんでくるだろう。そのことを習い覚え、その気持ちを深めるために日頃のミサ参加があったのではないかな。

 

 

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問次郎 キリスト教といっても、信者数や人数で限られるものではないのですね。キリストが巻き起こした渦(うず)が2000年も続いているのですね。

 

 

女の子_うきわ

 

美沙  そして、「キリスト教」という名前に限られず、さまざまな名のもとで、実際によい関係が作りだされているのですね。「キリスト教」自体の中にもよくない流れもあったのですし……。

 

 

 

答五郎 清濁併せもつということは、どこの世界でもあるよ。だから「清めてください」「聖霊、来てください」と祈り続けているのだと思う。

 

 

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問次郎 自分たちも入信式が延期されたことで、「主よ、あわれみたまえ」「聖霊、来てください」と待ち望む気持ちが強められています。今は、そんな時を大事にしたいと思います。

 

 

女の子_うきわ

 

美沙  キリストから始まるよい渦、聖霊の渦がどのようなかたちででも人類に染み渡り、ウイルス感染というこの禍やさまざまな汚染を克服していけるといいですね。

 

 

 

答五郎 君たちへの祝福を祈るよ。とにかく一緒に祈ろう、そしてこれからもどこかで学び続けよう。

[完]

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)

 


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