ミサと洗礼……「入信の秘跡」という言葉
問次郎 こんにちは。答五郎さん、少しテーマを別な方向にしてもいいですか。
答五郎 そうだね。ミサの流れに沿って大体のことは見終わった気がするから、もちろんいいけれども、やはりミサに関係があるのだろうね。
問次郎 はい。それは、洗礼との関係ということです。今度、今年は3月1日になるところの四旬節第1主日に、自分がよく見学する教会で洗礼志願式があると予告されているのです。
答五郎 復活徹夜祭に洗礼を受ける人だね。
問次郎 あの~、実は、そのうちの2人が答五郎さんのよく知っている人なのです。
美沙 はい。
答五郎 ええっ。ひょっとして、問次郎くん、君と、ひょっとして美沙さん……?
問次郎、美沙 はい、そうなんです。
答五郎 ああ、それは、それは……。
問次郎 もう3年半近く、いくつかの教会でミサを見学しつつ、答五郎さんにいろいろ聞いて考えていくうちに、ミサが自分の生活になくてはならないものになってきたのです。
美沙 そこで、家から近くて、もっともよく見学させてもらった神父さんにお願いして、ひととおりカトリック入門講座というものも受けていたのです。
問次郎 そこで、なのですが、カテキズムなどの教科書的なものを見ると、洗礼・堅信・聖体が入信の秘跡というふうに括られていますよ。聖体の秘跡というのは典礼としてはミサですよね。ミサというのは、入信の秘跡なのでしょうか。
美沙 わたしも、そこが疑問に思いました。洗礼とか堅信というのはキリスト者になるとき、つまり入信のときに、一回受けるものではないですか。聖体の秘跡というかミサは、何度も繰り返して行われるものですよね。なのに、入信の秘跡というふうにまとめられて、そのように教えられるのはどうしてなのか、ということが気になってきたのです。
答五郎 それは、遠い昔(冗談だけれど)、自分も同じように疑問に思ったことがある。だからいろいろと調べたりした経験があるので、そこからいくつかのことを伝えることにしよう。
まず、洗礼・堅信・聖体が入信の秘跡として括られるようになったのは、比較的最近のことで、カテキズムの伝統の中でいえば、現在の世界向けの『カトリック教会のカテキズム』が発表されたのが1992年にまずフランス語版、次に1997年にラテン語規範版でそのように示されたわけだ。
問次郎 秘跡は7つあるという教え方は伝統的だったと聞きましたが。
答五郎 それはそう、7つという規定は中世末期に確立した位置づけで、それ以来その原則は変わっていない。ただ、「秘跡」という考え方が深められたというか、広げられたことで、個々の秘跡にも、幾つかをまとめて考えようという流れになったのだ。そして近年では、洗礼・堅信・聖体は「キリスト教入信の秘跡」、婚姻と叙階の秘跡は「交わりをはぐくむための秘跡」、ゆるしの秘跡と病者の塗油の秘跡は「いやしの秘跡」などというふうにふうにね。秘跡の神学者はさらに他の分類法やその名称を提案しているけれど、カテキズムでは、今の3つの区分と名称が採用されている。
問次郎 ちょうど習いました。
答五郎 ところで、その洗礼・堅信・聖体を「入信」の「秘跡」と呼ぶ、その考え方自身は、教会とともに古いともいえるのだよ。そしてそのことを考えるためには「入信」と訳されているイニツィアツィオ、それから「秘跡」と訳されているサクラメントゥムという用語や考え方の源流を探る必要があるのだよ。
問次郎 あ、ラテン語が出てきましたね。難しくなりませんか。
答五郎 そうでもないよ。「入信」と訳されているラテン語はそうだが、英語ではイニシエーションといって、どの宗教にもそれなりにある加入儀礼を指す宗教学の概念だ。それをキリスト教への加入儀礼という意味で、使うようになったのは近年とはいえ、イニツィアツィオという語は、古く、「奥義を伝授すること」ならびにその儀礼を指す言葉で、古代の宗教でも使われていた概念だった。
問次郎 なにやら神秘めいた話になりますね。なんか怪しいような……。
答五郎 そのような印象を与えるのも、秘密のこと、その信者でなければ、伝授されないことに関係しているからだろうね。ともかく、その奥義を伝授された人はその教団の一員として認められるわけだから、「加入儀礼」と訳されているのだ。実際には、その宗教のもっとも神秘的なものを伝授するというニュアンスだよね。キリスト教的イニシエーション、つまりキリスト教入信は、いってみれば、キリストの神秘を伝授されること、そのための儀式を指すともいえる。洗礼や堅信は、立派にそのような加入儀礼だし、それらを受けて、ミサに参加するための十分な正式なメンバー(信者)になるということさ。
問次郎 ええ、わかります。それは習っています。だけれども、ミサは信者になってから何度も、主日のミサに参加することがキリスト教生活の基本になるじゃないですか。それがいつも入信の秘跡の典礼と呼ばれるのか、というのが疑問です。
答五郎 順序立てて考えていこう。「入信の秘跡」のもう一つの「秘跡」ということばがあるだろう。これも、実は今いったイニツィアツィオと似た意味をもっていて、限られた人に奥義や神秘を伝授するという意味があるんだ。そして、そのようにすることで、その人はその宗教で信じられている神(神々)のものとなるという意味をもっている宗教事象でもあり、ことばでもあるのだよ。サクラメントゥムのサクラは「聖なるもの、神のもの」で、そのようにする、つまり聖別する儀式や手段を指すのがサクラメントゥムということだ。
問次郎 今は話がとても宗教学的になっていますよね。それら、つまり「入信」とか「秘跡」というキリスト教用語のもとは、むしろ、いろいろな宗教でも共通に見られることだったわけですか。
美沙 あの~つまり、キリスト教以外の宗教で使われていた言葉が、キリスト教に流入してきて使われているのですね。一見すると「入信の秘跡」、とくに「秘跡」というと、キリスト教独特で、教会で教えを学んでいても、なかなか難しいなと思っていたのです。
答五郎 そうだろうね。自分も信者になる前も、信者になってからでも、また典礼についていろいろと調べたり、学んだりするなかでも、「秘跡」というのはなかなか難しいものがあったよ。でも、それだけに面白いのだけれどね。なかなか面白いどころか、とっても面白いよ。
問次郎 早く、キリスト教の用語になるところが知りたいです。
答五郎 それは次回にするね。今話したことをよく考えて、洗礼のこと、ミサのことを考え始めてほしいな。自分たちの入信式の準備にもきっとなると思うよ。それにしてもね……感動しているよ。
(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)