ラファエロ『柏の木の下の聖家族』
稲川保明(カトリック東京教区司祭)
この作品は、ラファエロが25歳で教皇ユリウス2世からローマに呼ばれた際に描いたものです。ユリウス2世からバチカンの署名の間の壁画などを依頼され、同時期にミケランジェロがたった一人でシスティーナ礼拝堂の天井画を描いているときに、ラファエロは総合プロデューサーのように多くの弟子たちを指揮して作品を完成させていきました。それらの大型作品はラファエロ工房のチームワークによる作品です。それに対して、この『柏の木の下の聖家族』のような作品は、全部がラファエロ自身の筆によるものなので、壁画作品に比べると小さいながらも、彼らしさが存分に発揮されています。
【鑑賞のポイント】
(1)フィレンツェ時代に描かれた聖母子の絵と比べると、黄金の三角形という構図は保たれているもののさらに動きが感じられます。初期の作品が静止画的であったのに対して、後期の作品には表情にも動作にも動的なものを感じます。幼子イエスはおとなしく聖母の腕に抱かれておらず、顔は聖母の方を向きながらも、両手をヨハネの方に差し伸べ、興味津々といった表情をしています。
(2)幼子ヨハネが何か字の書かれた羊皮紙のようなものを広げています。そこには「Ecce Angnvs Dei」(見よ、神の小羊を)というヨハネ福音書1章29節に登場する言葉が記されています。そして、二人の幼子はゆりかごの上にいます。ヨセフの手作りのゆりかごかもしれません。そのヨセフもあごに手をやり、感慨深そうな表情でその言葉の意味を考えているかのようなポーズです。
(3)野外であるにもかかわらず、どこか夕暮れのような、洞窟のような雰囲気があるのは、ダ・ヴィンチの『洞窟の聖母子』の影響があるのかもしれません。また壊れた柱は、イエスが「この神殿を壊してみよ、三日で建て直してみせる」(ヨハネ2:19)と言われたこと、それが自身の復活を指していたことなどが連想されます。それゆえ、この布が置かれたゆりかごはイエスの復活の墓のことを連想させるのです。墓は空で、イエスの体は見当たらず、体をまいていた亜麻布、頭を包んでいた覆いだけが残されていたというあの記述です(同20:6~7参照)。
(4)柏の木は、パレスチナでも姿のよい立派な木で、シケムの神殿の聖木でもありました。パレスチナでは比較的豊富に見られる樹木で、力、保護、誠実、偽りの教えに対する抵抗の象徴(ダニエル書補遺「スザンナ」を参照)とされています。そのがっしりした幹は能力、勇気、栄誉などのイメージをよく表し、ヨーロッパでは「柏十字勲章」というように栄誉をたたえる勲章などにも用いられています。
(5)マリアの表情は若く、またベールや髪型も優美です。衣装はボディラインが感じられるほどで、ラファエロの作品の中ではきわめて肉感的ですが、決して露骨ではありません。体をひねった状態は幼子イエスが突然、聖母の腕から滑り降りようとしたような動きを感じさせます。