ながさきの教皇フランシスコ―日本発「いのちと平和のための総力戦」へ


倉田夏樹

坂口安吾に『イノチガケ』という小説がある。戦中の1940年、安吾が最初に書いた歴史小説で、「ゼスス会のフランシスコ・ザビエル」と彼に憧れたヨワン・シローテ(シドッチ)を中心に扱った作品だ。慢性的な神経衰弱に苦しんだ安吾は迫りくる死の恐怖を振り払うように、三好達治に紹介されたレオン・パジェス『日本切支丹宗門史』を読み耽り、サナトリウムで鎮痛剤を齧りながら次々に殉教していく切支丹の生き様を書いた。門徒にとっては、辛い、実に辛い、そして惨い描写だ。自分が苦しかった安吾は、とても苦しかったために、自らよりも苦しく惨めな人の生き様を無意識的に探したのではないだろうか。その後、安吾は回復し戦後を生きる。

同じくイエズス会士ザビエルに憧れ日本宣教を志望した教皇フランシスコは、御歳82。念願叶っての今回の日本宣教は、その東方への旅自体が命懸けだ。

長崎駅に飾られた「Protect All Life」

現教皇は、一国家の元首、一宗教の長にとどまらず、普遍的な問いを歴史に問うアクティビストのように見える。空飛ぶ聖座は、現代史の中で問題を抱える国に降り立つという。緊迫する東アジア情勢、世界中で拡散されゆく核兵器、自然の猛威を無視して推し進められる原子力発電、「消えゆく最後の野蛮」(正木亮)である死刑の問題、蔓延する排他主義、経済最優先の過度な新自由主義、貧困と格差、優勝劣敗の思想、蹂躙される人権、などの問題を鑑みて聖座は再び日本にやってきた。すべての問いは「Protect All Life」に集約される。守るのは、生命であり隣人の人生だろう。

2019年11月24日聖日、教皇フランシスコは長崎の地に降り立った(来崎(らいさき)という)。私にとっては故郷での教皇ミサとあって、私用で参加することができた。当日は朝から薄曇りで、やがて雷雨となった。教皇が空港から真っ先に駆けつけたのは爆心地公園(日本のグラウンドゼロ)。慈雨の中、「焼き場に立つ少年」写真の隣で、平和への不退転の決意を述べた。その後、西坂公園(日本の真福八端の丘)に移り、日本二十六殉教者たちのために祈りを捧げた。西坂の丘を「復活を告げる場所」と呼んだ。

長崎大司教館でのランチを挟み、いよいよ教皇ミサin長崎の舞台、長崎県営野球場(長崎ビッグNスタジアム)へ。この時には、天気予報に反し雨が止んでいた。被爆マリアが見守る中、教皇ミサが始まると、あるアナウンスが。「ただいま、教皇様が長崎大司教館を出発なさいました」。その直後、おもむろに教皇フランシスコはスタジアムに現れたのである(イタリアンジョークか、はたまたアルゼンチン式ジョークか)。リリーフカー(救援車両)さながらのパパモービレに乗って。車上の教皇が近づくと、その周辺から歓声が上がる。しきりに子どもを祝福した。外国人の参加者が多いせいか、参加者の若さを感じた主日ミサだった。教皇が参列者にあいさつをし香炉を振った瞬間、雲間から陽が差した。すべての壁が取り払われ、橋が架かった瞬間だ。勤務中の長崎県警の警察官も、うっとり(うっかり)とシスターの答唱詩編ソロに聞き惚れていた(お勤め御苦労様です)。その後青空が広がり、雲一つない晴天となった。実は、結構な暑さだった。

教皇ミサ前に、長崎ビッグNスタジアムのモニターに映された他会場の教皇

「王であるキリスト」の福音朗読箇所は、ルカ23:35-43。 説教では、「もう一人の犯罪人」の話をより深めた。「もう一人の犯罪人とは、イエスが最後に声を聞いた人」だと話していた。ある一人の日本人死刑囚のことが想起された。教皇は、就任直後に記者から「あなたは誰ですか?」と聞かれると、「私は罪人です」と答えたことで知られる。ミサでの教皇の声色は、何とも懐かしいような、ラテンアメリカ・スペイン語訛りのラテン語の響きだ。聖パウロ三木は、スペイン語のままSan Pablo Mikiだった。ミサには、終始目に見えない何かが集まっている感じを受けた。頭にズーンと、重いものが残った。「また、あなた(司祭ではなく教皇だ)とともに」と皆で唱和し、感謝のうちにミサを終え、教皇は次の任地・広島へと旅立った。教皇来崎はこうして終わった。この教皇訪日準備のために、長崎のみならず、日本全国のカトリック界が、すべての知信を結集させた感があった。関係各者に、「本当にお疲れさまでした」と心から言いたい。情緒的なことは書きたくないが、教皇ミサ後、皆の表情は優しいものになっていた。この教皇訪日が日本にもたらしたものは「笑顔」であった(おそらく微笑みの国から来たためであろう)。日本政府(外務省)が、呼称を「法王」から「教皇」に改めると発表し、各一般メディアがそれに準じ始めたのも、今回のレガシーだ。

禁教時代、キリシタンたちはまだ見ぬ教皇を「ローマのお頭」と呼んだ。その先には、イエス・キリストがいる。長崎ビッグNスタジアムの教皇フランシスコは命懸けで日本人にボールを投げた。親睦に来たのではない。実に切迫した想いがあった。闘いに来たのだと確信した。教皇は「第三次世界大戦はすでに起こっている」とまで言った。カトリックは「信仰のみ」(Sola Fide)ではない、「信仰と行い」(Fidei et Morum)だ(しかし、ジョルジュ・ネラン神父は「イエスの前では、カトリックもプロテスタントもない」と言った)。言行一致をすべく、来たるべき戦争を回避するために、日本発の「いのちと平和のための総力戦」に向けて、全身全霊で福音に頼み聞き、覚悟を決めて今度は「子分たち」があゆみを起こす時だ。

(南山宗教文化研究所非常勤研究員)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

5 × two =