「哲人王」園田映人監督インタビュー1


歴史とは、「勝者」が創り出すものだ。彼らは時折り、眩しすぎるほどの虚飾と、砂のように脆いミステリーを、まるで既成事実でもあるかのように発信したがる。抗えない事実とそれらが複雑に交錯するなか、「敗者」たちの記憶や経験は歴史から消され、いくつかの世代を経たあとに忘れ去られてゆく。

いま、奇妙な映画が公開中である。

観賞後は老若男女にかかわらず、誰もが一様に驚き、嘆く。

「初めて聞く話だ」「教科書にも載ってない」と。

同時に観た者は、日本人として生まれた歓びに溜飲を下げ、笑顔を隠すことができない。衝撃と自尊心が入り混じるという、なんとも、不思議な気分に包まれるらしい。

李登輝・元台湾総統の著作や講演記録、インタビューなどをベースに、彼が紡いできた言葉の映像化にチャレンジした作品である。このように紹介すると、いかにも堅苦しそうな内容を想像しがちだ。だが、悩める女子大生を演じる桃果が、観る者たちの水先案内人として物語の終章まで導いてくれる。

もちろん、この女子大生は実在しない。しかし「敗者」たちの記憶と経験は、紛れもない事実だ。このフィクションとノンフィクションのハイブリッド仕様を、監督の園田映人は悩んだすえに「トランスドキュメンタリー」と呼んだ。

 

園田 正直にいえば「ドキュメンタリー」じゃないですよね(笑)。だけどもう、その点についてはしょうがないです。たとえば李登輝先生の宗教への想いを厳密に描きすぎると、物語として成り立たなくなってしまいます。やっぱり、ぼくは映画監督ですから。

雑な言い方をすれば、きれいな映画を撮りたいだけなんですよ。もっと具体的にいえば、外国人から眺めた「日本的な精神」とは何か。その答えに辿り着くような題材はないものかと、ずっと探っていたんです。

じつは、最初に思いついたのはプーチンだったんですよ(笑)。柔道好きなプーチンの日本びいきな本音と、ロシア正教の教義に見られる「性善説」に焦点を当てたかったんです。日本の伝統文化とひじょうに近しいものを以前から感じていましたから。

 

カトリックやプロテスタント、あるいはユダヤ教は「性悪説」を教義の柱とする。すなわち彼らの世界観においては、「正義」の真逆には必ず「悪」が存在し、最終的に勝利するのは常に正義であるべきだという対立概念だ。これを説明するうえで最もわかりやすい例は、アメリカ歴代大統領の発言だろう。古くは83年、当時のソ連を「悪の帝国」と、あたかもスピルバーグの映画作品のようなコピーをつけたのがロナルド・レーガンだった。01年9月の同時多発テロ後には、ジョージ・ブッシュの「悪の三枢軸」が話題となる。さらに17年の国連演説で「少数のならず者国家」と挑発したのが、ドナルド・トランプである。

だがロシア正教には、こうした概念はない。人間は対立するものではなく、お互いに調和の関係にあるという考え方だ。こうした正教の宗教哲学が、日本人が古来から培ってきた文化と類似しているのではないかと園田は考えたのだった。大学時代は、哲学を専攻した。いちど閃いた発見には、自身が納得するまで喰らいつく。観る者に何かを伝える語り部や、表現者としての探究心が彼にはあった。しかしあるとき、もっと上質なアイディアが存在したことに気づく。

それが、「台湾」という新たな題材である。

 

園田 直接的な転機となったのは、ぼくの祖父が台湾総督府に派遣されていたという事実ですね。最初は営林省、そのあとに文部省へ移ったんですが、台湾における教育にすごく尽力されて、その当時の教え子たちが戦後になってからも祖父のもとへ訪ねてきたと聞いています。今みたいにSNSがあるような時代ではありませんから、『宮崎日日新聞』の尋ね人欄に掲載してもらったりして祖父の居所を熱心に探したらしいです。

そんなことを考えていた時期に、李登輝先生の講演が石垣島で開催されることになったんです。題材として素晴らしいんじゃないかと思ったぼくは、訪日した先生に密着することにしました。ところが話を伺っているうちに、インタビューだけで映画を構成しても、自分が納得できるような作品ができるのだろうかという疑問が浮かんできたんです。はたして本当に彼の人生に肉薄できるのかどうか、その自信がどんどんなくなっていった。そこで、様ざまなクリエイティブな表現を加えながら、最大限の方法で取り組むべきだと判断したんです。実在の李登輝先生と女子大生を組み合わせたハーフドキュメントにしたのは、そんな理由があったからです。

 

李登輝が訪れた石垣島といえば、かつてはパイナップル産業などに従事するために、台湾から多数の移民が移住した土地柄だ。16年には国立博物館が「3万年前の航海」というプロジェクトを立ち上げ、台湾からの移民が、どのような方法で琉球まで漂着できたのかという実験が何度も行なわれている。そして同年7月末、李登輝は八重山の島民たちの前でこう語りかけた。

「台湾と日本の交流をますます深化させる旗手になることを願ってやみません」

八重山諸島の南端に浮かぶ与那国島から台湾まで、わずか100km余りの距離しかない。幸運に恵まれれば、年に何回かは、お互いの姿を肉眼で確認することもできるという。

李登輝は、日本の若い世代に不安の言葉を口にする。

「沖縄の南に、日本の領土があったことを知っていますか?」

李登輝という人物を通して「日本的な精神」を描くために、園田にはさらに緻密な取材が求められた。そこで向かったのが、台湾南部の最大都市である高雄だった。同市の山岳部に位置する六亀区で暮らす、張登粉という女性からの証言を得るためだ。多くの原住民たちも生活するこの土地で、彼女は静かな余生を送る。
今から、およそ75年も前の話だ。欧米の列強に挑んだ日本の戦局が厳しさを増すなか、園田の母親は、疎開先として張のもとに身を寄せたのだった。

 

園田 張登粉さんは97歳にもなる高齢の方なんですけれど、耳はいいし、日本語はきれいだし、びっくりしましたね。ぼくの母は昭和17年生まれなんですが、その母が物心つく前の話をしてくれるわけですよ。どんなスカートや靴が好きで、ヨチヨチ手を引っ張って買い物に連れて行ったのよって(笑)。いままで味わったこともない異次元の世界の話で、本当に圧倒されました。

そのとき、ちょっとだけ政治的な質問をしたんです。「台湾の未来はどうあってほしいですか?」って。そしたら「日本統治がいいなぁ」って、切々と語り始めるわけですよ。日本統治時代に青春期を過ごした彼らには、我われ日本人には知るよしもない日本への情熱があるんです。日本人と一緒に新しい国を作るために、彼らも精一杯生きていたんですね。そんな深いストーリーがあるんだったら、そこをちゃんと描けるような作品構想にしなきゃいけないと、あらためて思いました。

──「日本統治時代に戻りたい」という発言は、その世代の台湾人が共有する代表的な意見なんでしょうか。

園田 皆んな、そうですね。日本統治時代に上下水道が整備されて、蛇口をひねれば水が出てくるという状況だったわけです。日本が台湾から引き揚げたあとに入ってきた中国の国民党は、蛇口という存在を初めて見て驚き、町の雑貨屋さんからすべての蛇口を持ち去ったそうです。「蛇口をつけるだけで水が出る」と思い込んでいたんですね。

──マジックショーじゃあるまいし(笑)。

園田 ……(笑)。つまり台湾人と中国人のあいだには、それほど民度の差があったということです。そんな国民党軍の姿を台湾人が見て、「我われの支配者は劣化してしまった」とがっかりするわけです。そんな落胆が、日本時代への懐古の情を生んでいったということでしょう。

 

台湾は夏と冬の降水量の差が極端に激しい。しかし、雨水を灌漑用水としてリサイクルする技術を持ち合わせていない。南西部に広がる嘉南平原に住む農民たちは苦しい生活を強いられていた。

そんな不毛の地に恵みの水をもたらせたのが、八田與一をはじめとする日本の技術者たちだった。彼が10年の歳月をかけて完成させた烏山頭ダムは、30年(昭5)当時、世界最大のダムとして記録されている。また、同じく彼が築き上げた灌漑用水路は、地球一周のおよそ40%にも相当する長大なものだった。九州とほぼ同じ面積しかもたない、島国での話である。

大陸の敗残兵から一転、「勝者」となった蒋介石率いる国民党軍の傍若無人ぶりは、日台関係史のなかで真実が語られる機会をほとんど失なったままだ。彼らは前統治者が遺していった瀟洒な建築物をわが物顔で占拠し、日本の教育を受けた先住民たちから富を搾取した。現在の台湾で教育漫画の題材としても取り上げられる「二・二八事件」を知る日本人が、はたしてどれほどいるだろうか。

47年(昭23)のことだった。国民党は台湾の有力者や知識人を中心にホロコーストという暴挙におよび、2万人以上とも言われる遺体をトラックの荷台に積み込み、台北北部・基隆の港にゴミのように棄却した。その年から発令された戒厳令は台湾全土が対象となり、およそ40年にわたって解除されていない。

日本でも、いくつかの戒厳令が発令されている。関東大震災後や、二・二六事件後などである。しかしそれらの期間は数ヶ月にすぎず、また対象地域も限定されていた。日本の敗戦直後に発布された台湾の戒厳令は、88年のソウル五輪直前まで続いた。日本でいえば、平成元年の前年までということだ。国民党政権の冷徹さが、いかに異常だったのかが想像できるだろう。だが日本の教科書には中国の文革に関する記述は載っていても、台湾の二・二八事件については見当たらない。
2年前の17年(平29)4月、烏山頭に建てられた八田與一の銅像の首が、無残にも切り落とされた。逮捕時に達成感の笑みさえも浮かべた犯人は、中国との統一を目指す国民党系の議員である。事態の深刻さに慌てた蔡英文総統が日本政府に謝罪したものの、韓国における慰安婦像問題とは異なり、このニュースも日本国内で大きく扱われることはなかった。明らかに、中国に対する忖度だろう。

 

園田 日本人が台湾のために行なった努力は、とにかく歴史から隠す、消すというのが台湾の戦後史です。ここ数百年の世界史は、白人が有色人種を所有していったというピリオッドだったと思います。彼らは、占領地の住民をけっして人間扱いしませんでした。ヘタに知恵をつけられると、反撃される恐れがあるからです。だけど、欧米人と同じやり方は、日本人にはできないんですね。そういう文化がないし、そういう前例もありませんでしたから。

日本にもともとある文化は、自分たちと同等に相手を尊重していくという考え方です。つい最近までは台湾にも首狩族がいて、首を狩らないと大人としてみなされいという風習があったわけです。だけど日本人は、そんな彼らに対しても「話せばわかる。情熱は通じる」という考え方で等しく扱った(笑)。白人が徹底的に愚民化政策をして、現地人からの搾取を続け、識字率が400年も変わらなかったインドネシアと比べたら、台湾における日本の統治方法は世界に誇れるものだったと思うんです。でも、強い国力をもった日本をGHQがコントロールするには、日本人を自虐的な国民に落とし込んでいかなければならなかったんじゃないでしょうか。日本人の統治は素晴らしかったという真実がバレると、占領軍にははなはだ都合が悪いですからね。そこにまた、「反日」を国策として自国をまとめ上げていこうとする国も現れていくわけです。

 

映画の冒頭で、女子大生は対立概念に潜む矛盾に自問自答を続ける。グローバリズム×ナショナリズム、日本×西洋、多神教×一神教、自由と×平等……、「人間は矛盾のなかを漂う、哀れな流木なのでしょうか?」と、彼女自身をも責め立て、自ら命を絶とうとまで考える。

人間そのものを卑下し、すべてを否定しようとする主人公に、しかし別の声が石垣島の空から問いかける。

「あなたは、自分の国を愛していますか?」

そう。この声の主こそが、李登輝その人だった。

(つづく)

(文責:李春成/ライター)

《劇場公開》ヒューマントラストシネマ渋谷にて1週間限定公開!(6/21(金)~6/27(木)9:20/14:10 1日2回上映)
公式ホームページ:https://www.tetsujino.com/

「哲人王」園田映人監督インタビュー1” への1件のフィードバック

  1. 「哲人王」という映画に注がれた、園田監督の想いに感銘を受けました。
    映画のバックボーンに思想や哲学があるので、内容も濃く、深い学びのある作品でした。
    色々な試行錯誤があって、芸術性のある映画になったのですね。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

9 − nine =