「山懐(やまふところ)に抱かれて」


牛たちが伸び伸びと芝の生えた山地を歩いています。

芝をグゥヮッ、グゥヮッと美味しそうに食む音がします。

ここは岩手県下閉伊郡田野畑村にある吉塚牧場です。

牧場主の吉塚公雄さんは、東京農業大学在学中に猶原恭爾(ならはらきょうじ)理学博士と出会い、山地酪農に挑む決心をしました。大学卒業後、先に山地酪農を行っていた熊谷さんを頼って田野畑村に移住したのです。

1977年から開拓がはじまりました。夜の明けない時間から木を切り倒す日々が続きました。そうして更地にした土に、一本一本芝を植えていきます。その芝がいまは緑のジュータンになっています。

この芝は日本固有のもので、やせた土地でも生えるし、密生して生えるので洪水も防いでくれます。こうしたたくましい芝が牛の大好物です。吉塚牧場の餌はこの芝と自前で栽培する牧草だけなので、自給率は100%です。

「山地は肥料などやらなくても、放っておくと森林になってしまう。これが日本の地力の生産力です。それを森林になろうとする、大きなものになろうとするパワーを草にしようとしています。草の力、エネルギーに変えようとするのが『草地農業』です」と公雄さんは語ります。

最初の10年間は電気もなくランプ生活でした。プレハブの家で、妻の登志子さんとの間に授かった7人の子どもたちとの牧場生活です。電気が通ってからも、年に一度はランプの下で夕食を囲みます。食べる前には「おじいちゃんありがとう、おばあちゃんありがとう、……(家族それぞれの名前を言ってありがとう)……牛さんありがとう、いただきます、どうぞ召し上がれ」と言います。家族そろって食事をする、大勢のなかでの夕餉は絆を強くしていきます。

吉塚牧場の牛たちは、乳を搾るときに小屋に入りますが、それ以外は1年中山で過ごします。真冬は氷点下15℃を下回るときもあります。凍った地面で足を滑らせる牛もいます。吉塚家の子どもたちも、放牧された牛と一緒になって過します。

冬に牛が食べる草は、夏の間に家族みんなで刈り取り、6メートルもある小屋に詰め込みます。いつも家族みんなが力を合わせての酪農です。

「充実感とか豊かさというのは、断じて物質じゃない。負け惜しみに言ってるように聞こえるかもしれませんが、人間が寄り添って、家族と言えども他人で、そういう他人の最小単位が家族で、その中でもってみんなが関わって触れ合って生活していくときに、本当にお腹が空けば、ご飯しかなくても塩かけて食べても本当に美味しい。このご飯ありがたかったとなれるわけです」

「親としてデパートにつれて行って、物を買い与えるとか、遊園地に連れて行くとかは一度もありません。物質的な意味で何か買ってあげる、与えてあげるということはまずまるっきりできません。親としてやれることと言うのは、喜んだり、つらいときとかそういうのを受け止めてあげる、それしかやってあげられることはないです」

公雄おとうさんの語りには、自然の厳しさをいやというほど知った上での、自然に対する慈しみが込められています。自然の中でこそ、家族の愛が育まれているのだということを知ることができます。

そうした酪農のなかで、おとうさんが仲間とともにプライベートブランド《田野畑山地酪農牛乳》を立ち上げます。「山地酪農」とは猶原博士が創始した酪農です。自然とともに歩む山地酪農から生み出された牛乳が評判となっていきます。しかし、限りある乳量、販売価格の調整などの課題と闘いながら試行錯誤の日々が続きます。

「山地酪農牛乳」を運んで盛岡のお客さんに届ける吉塚家の人たちの笑顔がすてきです。お客さんとのやりとりが、すがすがしくてさわやかです。お客さんも応援しているのが分かります。あの笑顔と仕草はどこでつくられるのでしょうか。それは四季の移り変わりのなかで、雨の日も雪の日も、泣いたり笑ったりしながら、牛たちと一緒に過ごすなかできっとつくられていくものなのでしょう。

おとうさん、おかあさんと7人の子どもたちが暮らす、酪農大家族の24年間は、いまという現代を生きるわたしたちにさまざまなことを示唆してくれています。

映画を観ていて、わたしは井上洋治神父の話が浮かんできました。少し長くなりますが、紹介させてください。

「『神は二冊の書物をかいた。一つは聖書であり、いま一つは自然である。神は自然を数学という言葉でかいた』というのは有名なガリレオの言葉だそうであるが、ガリレオとはまったく違った意味で、やはり神は『新約聖書』と自然という二冊の本で、今も福音のメッセージを私たちに語りかけておられるのだと思う。ただ、ガリレオとはまったく違った意味で、というのは、神は自然を数学という言葉でかかれたのではなく、今も自然という書物の中で風(プネウマ)の言葉をささやき続けていてくださると思うからである。そして聖書は書物というよりも、むしろ、どうしたらこの風のささやきをききとることができるようになるかを教えるために、私たち一人一人にあてられた手紙と考えた方がよいのかもしれない。そして、手紙であるならば、そこでは、おのずからに、一番大切なことは、その手紙がどのような言葉や文字でかかれているかということを勉強することではなくて、その手紙で訴えられているメッセージを信じて行為することになるはずである」(『風のなかの想い』より)

このことを想ったときに、『山懐に抱かれて』という映画を自然という書物とし、風の言葉のささやきをききとるための手紙を読み、そこに訴えられたメッセージを信じて行為せねばならないのではないかという気持ちに抱かれてきたのです。

(鵜飼清、評論家)

ポレポレ東中野にて現在公開中、ほか全国順次公開予定
公式ホームページ:http://www.tvi.jp/yamafutokoro/
テレビ岩手 開局50周年記念作品
スタッフ
監督・プロデューサー:遠藤 隆/撮影:田中進、上屋敷益元、柳田慎也、谷藤修二、吉塚公太郎、山崎令子/ドローン撮影:上屋敷大輝/音声:鈴木 茂人/取材:菊池健/構成・編集:佐藤 幸一
出演
ナレーション:室井滋
吉塚家のみなさん

協力:日本テレビ系列NNNドキュメント、萬田 富治
宣伝デザイン:成瀬 慧
宣伝:岩井 秀世 猿田 ゆう
配給宣伝協力:ウッキー・プロダクション、テレビ岩手
「山懐に抱かれて」実行委員会
製作著作:テレビ岩手
2019年/103分/16:9/カラー/HD/日本/ドキュメンタリー


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