易奥朽子(イオフ・シ/日本正教会信徒)
みなさん、こんにちは。今回の私のテーマはズバリ「ルター訳聖書とは何か?」です。みなさんはルター訳聖書というとどのようなイメージをお持ちでしょうか?
世界史で習ったけどよくわからない、ルターって偉い人だとはわかるけどそれ以外は全然知らない、我コソハ「ドイツノ学徒」デアル、神学ってさっぱりだけど興味ある……。
このように初めての方、アマチュアの方、ドイツが大好きで仕方のない方はぜひとも私のお話に付き合っていただけましたら幸いです。損はさせませんよ。
1.ルターのドイツ語って?
ルターのドイツ語は初期新高ドイツ語(Frühneuhochdeutsch)といい、中世と近代をまたぐ中間期の言葉で書いています。また彼は自分で述べているようにザクセン(今のザクセン州あたりを支配していたザクセン選帝侯領)の官庁語を用いています。つまりお役所言葉です。でも単語は人々になじみのあるものを使い硬軟を見事に使い分けています。彼を文筆家ルターと呼んでも決して言い過ぎではありません。みごとなドイツ版のダ・ヴィンチです。
ここでひとこと。この時代のドイツ語は規範文法や正書法といった類が存在しません。つまり人によって書き方が違うわけです。ですが言い換えればその人の個性が今よりもはるかに全面的に出てくるということにもなります。
現代ドイツ語をご存知の方向けに参考までにいくつか例を挙げてみましょう。
初期新高ドイツ語 | 現代ドイツ語 | 意味 |
hende | Hände | 手 |
were | wäre | sein動詞の接続法 |
Sunde | Sünde | (宗教上の)罪 |
sey | sei | sein動詞の接続法 |
vnd | und | ~と、~および |
vber | über | ~の上に |
上のものは今のものと綴りと音が似ているのでだいたい推測が可能です。ですが以下のものは勉強をしないとイメージがしづらいと思います。
初期新高ドイツ語 | 現代ドイツ語 | 意味 |
vmb | um | ~の周りを、~について |
lamb | Lamm | 子羊 |
viech | Vieh | 家畜 |
2.ルター訳聖書が普及した3つの理由
まずは1つ目。ヴルガタとよばれるラテン語訳聖書の重訳ではなく、ヘブライ語(旧約聖書の原語)とギリシャ語(新約聖書の原語)からの直接訳という点です。なぜか。それまでのドイツ語訳はすべてラテン語訳からの重訳だけだったからです。次に2つ目。ルター訳聖書が当時最新鋭のメディアである活版印刷というテクノロジーにうまくのっかったからです。最後に3つ目。彼の翻訳レベルが高かったからです。3つ目はマイナーな翻訳論のお話になるので割愛するとして、1つ目と2つ目のお話をかんたんにします。
まず1つ目は原典からの翻訳というドイツ語聖書史上初の試みをルターが成したからです。今の我々から見れば当たり前なお話です。ですが、西ヨーロッパにキリスト教が普及した中世当時、聖書を読める人は聖職者か修道士のみでした。そして典礼言語はどこの国でもラテン語です。つまりラテン語は当時の教会関係者たちにとっては何人であっても今日の英語に相当するユニバーサルな言葉であったのです。そのため聖書はラテン語でなければいけませんでした。事実、ドイツ語に最初に翻訳された聖書は上オーストリアにあるモントゼー修道院で訳されたマトフェイ伝(マタイ伝)の断片(ラテン語からの古高ドイツ語訳)です。閑話休題。ルターはいわばこの慣例を破った最初に人となりました。
2つ目は活版印刷です。それまでの聖書は高価な写本のみでした。それは修道院で修道士たちによってひとつひとつ手作りで作られていましたから、時間と手間ひまがものすごくかかるわけです。そのため一般人は入手不可能な代物です。この状態を打破したのが最新テクノロジーである活版印刷機による聖書の印刷となるわけです。一度に大量の聖書が刷れ、しかも1冊当たりの単価が安くなる。この結果、1つ目と2つ目の条件が被り、ドイツ語訳聖書がドイツに普及し、それを文字の読める誰かが読めない人たちに朗読をする。文字が読めなくても朗読されればわかるので、聖書の内容が司祭を通さずともダイレクトに伝わったわけです。
3.おわりに
ヨアヒム・ガウク前ドイツ連邦共和国大統領はルター派の牧師ですが、彼の演説は時にはドイツの利益を守り、時にはドイツの過去を批判するというまるで教会の説教壇から信徒に説教をする牧師の姿を彷彿とさせるものがあります。これはいうまでもなくマルティン・ルターの伝統が今日も姿形を変え、連綿と引き継がれたものあろうと思われます。