ティツィアーノ・ヴェチェッリオ『Noli me tangere 私に触れてはならない』
稲川保明(カトリック東京教区司祭)
今回から4回ほど、ヴェネツィア派の巨匠ティツィアーノ・ヴェチェッリオの作品を紹介したいと思います。
ティツィアーノ・ヴェチェッリオ(Tiziano Vecellio, 生没年1490頃~1576。第14回も参照)は、盛期ルネッサンスのヴェネツィア派の中でも最も重要な画家の一人です。同時代の人々から「星々を従える太陽」(ダンテの神曲からの引用)と呼ばれるほどで、肖像画、風景画、古代神話画、宗教画などあらゆる絵画分野に秀でた画家であり、色彩にも優れ、イタリア・ルネッサンスの芸術家だけでなく次世代以降の西洋絵画にも大きな影響を与えています。彼の宗教画には筆使いや色彩などにその特徴が表れています。
まず初期の作品の一つを見てみましょう。この絵のタイトルは「Noli me tangere 私に触れてはならない」というもので、ヨハネ福音書20章11~18節のエピソードに基づいています。
――イエスが埋葬されたあと、墓の外に立って泣いていたマグダラのマリアが泣きながら身をかがめて墓の中を見ると、イエスの遺体の置いてあった所に白い衣を着た二人の天使が見え、「婦人よ、なぜ泣いているのか」と言います。マリアが「わたしの主が取り去られました。どこに置かれているのか、わたしには分かりません」と言いながら後ろを振り向くと、イエスの立っておられるのが見えます。しかし、マリアはそれがイエスだとは分からずにいると、イエスは「婦人よ、なぜ泣いているのか。だれを捜しているのか」と言います。
マリアがその人を園丁だと思い、「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。わたしが、あの方を引き取ります」と言うと、イエスは「マリア」と言います。彼女が振り向いて「ラボニ」(先生)と言うと、イエスは言いました。「わたしにすがりつくのはよしなさい(ラテン語で、Noli me tangere)。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と」。そして、マリアは弟子たちのところへ行き、「わたしは主を見ました」と告げ、また主から言われたことを伝えた、――というものです。
【鑑賞のポイント】
(1)朝焼けの残る空の様子がこのシーンを包んでいます。マグダラのマリアはひれ伏してすがりつこうと手を伸ばしかけています。マリアの左手には香油の入れ物が描かれています。イエスは身を少し引いて「私にすがりついてはならない」と語りかけているのです。
(2)キリストが裸に近い姿なのは、遺体を包んでいた布は墓に置かれていたこと、洗礼の時と同じく、新しい復活の命に生きていることが思い起こされます。キリストの足には釘の跡が見えます。左手に鍬のようなものを持っているのは、マリアが「園の番人」と思ったことを表しています。背景には羊や羊飼い、牧羊犬などが小さく描かれています。