「長崎・天草潜伏キリシタン世界遺産」の2018年を振り返る
――「世界遺産」から「日本遺産」への道
倉田夏樹(南山宗教文化研究所非常勤研究員)
本年2018年は、
日本のカトリック関係者にとっては、記憶に残る1年と言える。
焦点は6月末で、
6月28日には、前田万葉大司教(大阪教区)の枢機卿任命、
6月30日には、長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産
の世界遺産登録決定があった。
どちらも、長崎県関係の出来事であった。
今連載との関連で言うと、
何と言っても、潜伏キリシタン関連遺産の世界遺産登録、
という出来事が特筆すべきである。
郷里出身で上京した筆者のような者にとっては嬉しい限りで、
この「世界遺産」の仕事の一端に携わらせていただいたが、
バチカン市国、長崎市、新上五島町、天草市、長崎県をはじめ、
地元の方々の献身・尽力に改めて謝意を伝えたい。
出足は鈍かったと聞いているが、
長崎には、秋以降は国内外から多くの旅行者が訪れているようだ。
その2018年も過ぎ往こうとしている。
今は、雨後のタケノコのように、
「関連商品」が大量に生産されている時勢である。
当然ながら、内容は玉石混淆であるので、
外面の華やかさ、「粗製乱造品」に惑わされず、
真贋を見極める眼が肝要だ。
やはり、長年このテーマに携わって来られてきた方の仕事が光る。
日本世界遺産史を繙(ひもと)くと、
遺跡ではなく、こうした現在進行中の「神事」を、
「遺産」として登録していいのか、
「客寄せの見世物」として利用していいのか、
という議論が絶えず俎上にあがってきた。
沖縄では、
斎場御嶽(せーふぁうたき)という聖地が
2000年の世界遺産として
「琉球王国のグスク及び関連遺産群」が登録され、
この2018年末には、
宮古島のパーントゥ(仮面をつけた来訪神の厄払い行事)が、
ユネスコ無形文化遺産に登録されたが、
一方で沖縄では、「継続中の神事であるから」と、
この類の遺産登録を反対している伝統行事もある。
沖縄本島にある聖地・斎場御嶽では、
実際に犬同伴の入場があったり、
至る所で食べ飲み散らかされたりと、
惨状が報告されている。
長崎・天草の教会関連遺産がそうならない保証はなく、
当然、「遺産登録」がすべてではない、という意見も一理ある。
一方で、「福音宣教」の絶好のチャンスでもあると捉える人も多い。
日本のカトリック教会の大勢は、後者に舵をとった様相だ。
「世界遺産」について触れてきたが、
「日本遺産」という試みがあることをご存知だろうか?
【参照】https://japan-heritage.bunka.go.jp/ja/
この「日本遺産」(Japan Heritage)は、日本政府文化庁による試みで、
文化庁では, 地域の歴史的魅力や特色を通じて我が国の文化・伝統を語るストーリーを「日本遺産(Japan Heritage)」として認定し, ストーリーを語る上で不可欠な魅力ある有形・無形の様々な文化財群を総合的に活用する取組を支援します。
と同サイトにある。
キリスト教関連の遺産は、
今の所この「日本遺産」には存在しない。
今年登録された世界遺産の、
「長崎・天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」
に関しては、色々思わされることがある。
キリシタンの辿った道というのは、
「信仰を他者に誇る」どころか、
見つかると自ら殺される、のみならず
一族郎党が断絶させられる危険さえあるので、
「ただ信仰をひた隠しにする」道であった。
その中でも、緩やかなコミュニティを保つべく、
分かる人には分かるシンボル(象徴)とメタファー(隠喩)を、
時には、ダブルミーニングの記号言語もまた駆使して、
ひっそりとさりげなくシグナルを出し続けたのだろう。
長崎地域に残る「宗教言語」には、
「教会で拝んでくる」「お経(オラショ)」「納戸神」「お通夜」「功徳」「サイセン」
といった類のものがあり、
仏教とキリスト教と、どちらでも使用できるものを、
潜伏キリシタン側―カクレキリシタン側―復活カトリック側で、
連綿と受け継いできた言語と言える。
艱難の時代を生き抜くための知恵である。
長崎・天草の信徒の心の奥底には、
「ご先祖たちの信仰と行いが、ついに世界に認められた」
という慶びの思いがあるものだ。人にはあまり言わない。
特徴的なのは、
「日本を飛び越して世界に認められた」ということと、
「日本には認められるどころか、見つかると命を奪われた」
ということである。
認められると、命を奪われるとでは、大きな差だ。
浦上キリシタンの高木仙右衛門の言葉に、
「仙右衛門 覚書」1880年(明治8)頃、口述筆記
.
というものがある。
これは、高木が浦上四番崩れによる流配で津和野に流された際、
津和野藩士との間で行われた問答の様子である。
先祖の教えは、
「天主よりほかのものを拝むな」、
「将軍さま方によく従え」、
「年貢をよく納め公役もよく務めよ」、
ということであり、
「キリシタンはおかみに一揆をしたこともありません」
というのは、
島原と長崎が違うということを強調した発言で、
この国家への反動的傾向の少なさは、
現在に到る長崎県民のメンタリティをよく表わしている。
「少ない」と言われるが、
日本国内には約43万人のカトリック信徒がいる。
「普段は信仰など口をしない」カトリック信徒たちが、
日本社会の要所で仕事をしていることも事実だ。
「世界も認めた」、そうした「よき民」の伝統に、
日本政府が、一定の評価と敬意を表し、
日本の遺産として認め、日本遺産の一列に並べることは、
延いては、来るべき「教皇フランシスコ訪日」プロジェクトを、
円滑に行い、成功裡に終えるのに有効なさりげない措置と言える。
被爆した浦上天主堂が保存されていれば、広島の原爆ドームと同レベルの世界遺産になっていたはず。
牧師によって祝福されて飛び立った米軍爆撃機が同じキリスト教のカトリック浦上天主堂を壊滅させた。
戦争の愚かさを世界に問う、何よりの資料になっていたはずなのに。惜しい、惜しすぎる。残念無念。
それほどに米軍の圧力が強かったということか。