ミサはなかなか面白い 68 結びの栄唱の前に思うキリストの恵み


結びの栄唱の前に思うキリストの恵み

答五郎 さて、世の中は、クリスマスモードだけれど、われらはミサの旅を続けよう。奉献文の締めくくりの部分に近づいているのだけど……。

 

 

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問次郎 はい。そのあとに続く「キリストによって、キリストとともに、キリストのうちに……」という印象的な文について早く聞きたいのですが、でも、きょうは、その前なのですよね。

 

答五郎 そう、たいていの説明だと、ここは一気に結びの栄唱に進んでいって、その直前の部分はあまり扱われないものだけれどね。どうも杉下右京(ドラマ『相棒』の主人公)のように、細かいことが気になるタイプでね。基本の4つの奉献文を見比べてみて気づくことを考えてみたいのだよ。まず第2奉献文から……

 

女の子_うきわ

美沙 はい、第2奉献文は、「御子イエス・キリストを通して、あなたをほめたたえることができますように」となっています。これは、結びの「キリストによって……」にすぐ続くように感じていました。

 

 

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答五郎 そうだね。たしかに流れは自然でわかりやすい。これが、第2奉献文がよく用いられる一つの理由かもしれない。

 

 

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問次郎 そうですか? あまり考えたことがありませんでした。そこが理由かな。

 

 

答五郎 ともかく、ほかもざっと紹介してもらえるかな。前の2回で見た、「共同体のための祈り」に続く部分だ。

 

 

女の子_うきわ

美沙 はい。第1奉献文では「キリストによって、あなたは常にすべてのよいものを造り、とうといものにし、これに生命を与え、祝福してわたしたちにお恵みになります」。第3奉献文では「主・キリストを通して、あなたはすべてのよいものを世にお与えになります」となっています。

 

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問次郎 ふーん。「よいものを世にお与えになります」。創造とか存在に関する神の恵みのことですよね。その前まで、共同体のための祈りで、救いの完成にあずかることができるように祈ってきた流れなのに、唐突に前に戻る感じがしますが。終わりの部分なのに、何か始まりのことばのような。

 

答五郎 うん、たしかにね。そういうところはあるかもしれない。ただ、第3奉献文のここの部分は、伝統的なローマ・ミサの奉献文と、第4奉献文が踏まえている東方のビザンティン典礼の奉献文の、どちらにもある伝統を踏まえた部分らしいのだ。

 

女の子_うきわ

美沙 第3奉献文が唱えられるときがあって、その前までずっと「……してください」「……ますように」と願う祈りのかたちだったのが、ここで「主・キリストを通して、あなたはすべてのよいものを世にお与えになります」となにか信仰宣言が一つ挿まれるのだなと思って、ちょっと唐突な感じがしました。

 

答五郎 二人とも、少し唐突な感じがしたのだね。美沙さんが感じたように、たしかにここは信仰宣言風だね。原書のラテン語文と日本語文の違いはあるものの、だいたい忠実な訳になっているのだけど。

 

 

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問次郎 それは、なかなかわからないことです。教えください。

 

 

答五郎 第1奉献文も第3奉献文も、その直前の祈りをいったん「わたしたちの主キリストによって」と結んだかたちになっていて、そのキリストを説明する関係代名詞節で、「その方=キリストを通して」万物が造られ、与えられていることを思い起こすという流れになっているということさ。

 

女の子_うきわ

美沙 そういう接続関係だと下から訳す形で「その方によって、あなたが、常によいものを造り、とうといものにし、これに生命を与え、祝福してわたしたちにお恵みになるところの、わたしたちの主キリストによって」(第1奉献文)、「その方を通して、あなたがすべてのよいものを世にお与えになるところの、わたしたちの主イエス・キリストによって」(第3奉献文)としてもよいですね。

 

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問次郎 頭がこんがらかりそうだよ。

 

 

答五郎 理解の上ではそれでいいと思うが、やはり日本語文では現在のように訳すしかないだろう。原文でも、キリストへの思いの展開は同じだと思うよ。日本語文のように、切ってつなげていくしかないとはいえ、内容をよく考えれば、祈りの展開の意味は納得できるのではないかな。

 

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問次郎 なんとなく、わかってきた気がしますが、ここにそんな大事なことが含まれているとは驚きです。

 

 

答五郎 たぶんここは、奉献という大きな行為のあとで、御父である神が、御子キリストを通してもたらされた創造の恵み、今現在も万物を存在させてくださっている、与えてくださっているという恵みを、賛美と感謝をこめて思い起こしているという趣なのだよ。

 

女の子_うきわ

美沙 奉献を経て、万物の創造と存在の恵みに対する見方が深まり、それが大団円の賛美、つまり栄唱の導入になっているのですね。

 

 

答五郎 そう思うよ。共同体のための祈りが結構長かっただろう。その願いの祈りを終えて、もう一度、賛美に転じていくそのために、ここがいわばターニングポイントとなっているわけだよ。

 

 

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問次郎 ということは、第2奉献文の「御子イエス・キリストを通して、あなたをほめたたえることができますように」と、骨子は変わらないわけか。ここのキリストの部分を創造への賛美でふくらませているという意味ですね。ところで、第4奉献文を確認しましたっけ。

 

答五郎 実は、今、確認するのがちょうどいい第4奉献文だよ。美沙さん、直前の祈りから読んでもらえるかな。他の奉献文と同じく、マリアのあとに聖ヨセフが今は入るからね。

 

 

女の子_うきわ

美沙 はい。「神の母おとめマリアと聖ヨセフ、使徒と聖人とともに、あなた国で約束されたいのちにあずかることができますように。その国で、罪と死の腐敗から解放された宇宙万物とともに、主・キリストによってあなたの栄光をたたえることができますように。主・キリストを通して、あなたはすべてのよいものを世にお与えになります」。

 

答五郎 ほら、今までの話がまとまるだろう。第2奉献文のように、キリストによってたたえることができるように、というふうに、結びの栄唱への移行が示されつつ、そこで、キリストを通しての創造の恵みと存在の恵みを思い起こしているという流れなのだよ。

 

女の子_うきわ

美沙 たしかに最後の一文は、唐突感がありますが、ここからすでに賛美が始まっているのですね。

 

 

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問次郎 なるほど……。4つの奉献文を比べ読みすると、いろいろと気づかされるものですね。

 

 

答五郎 ミサで全部の奉献文を唱えることはないから、そこは、こういう学びの場が役立つところだろうね。考えるヒント満載の祈りだろう。次は、いよいよ、ほんとうに結びの栄唱に入るからね。

(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)


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