アート&バイブル 20:聖母被昇天


アンニーバレ・カラッチ『聖母被昇天』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

今回は、イタリアの画家、版画家であるアンニーバレ・カラッチ(Annibale Carracci, 生没年1560~1609)の『聖母被昇天』を鑑賞します。ボローニャ出身のカラッチは、イタリア美術における初期バロック様式を確立した画家の一人であり、ボローニャ派と呼ばれる系統の代表的画家です。門下から多くの画家を育成した点でも西洋絵画史上重要な画家の一人とされています。

アンニーバレ・カラッチ『聖母被昇天』(1601年、ローマ、サンタ・マリア・デル・ポポロ聖堂所蔵)

兄アゴスティーノ・カラッチ(Agostino Carracci, 1557~1602)、従兄ルドヴィーコ・カラッチ(Ludovico Carracci, 1555~1619)も画家であり、美術史上では総称して「カラッチ一族」と呼ばれます。アンニーバレはボローニャの画家バルトロメオ・パッサロッティ(Bartolomeo Passerotti, 1529~1592)のもとで絵画の修業をします。1585年頃、兄アゴスティーノ、従兄ルドヴィーコとともにボローニャに「アカデミア・デリ・インカミナーティ」という画学校を設立。この画学校は、事物の観察や研究を重視する立場でボローニャ絵画改革の拠点となるところです。人体素描や古典彫刻の模写などの基礎技術の習得を重視するその画風のもとで、グイド・レーニ(Guido Reni, 1575~1642)、ドメニキーノ(Domenichino, 1581~1641)、グエルチーノ(Guercino, 1591~1666)などの著名画家を輩出することになります。

アンニーバレの年記のある最古の作品は、ボローニャのサンタ・マリア・デッラ・カリタ聖堂にある『磔刑』(1583年)です。初期の作品は、師の影響が強かったようですが、ボローニャを拠点としつつも、1583年にはトスカーナ地方、1585年にはパルマ、1586年にはヴェネツィアと各地を旅して古典作品の研究とともに自由な画風を身につけます。

彼が特に本領とするのはキリスト教や古代神話を題材とした歴史画であり、宮殿などの大規模な装飾で力を発揮しますが、それが十全に開花するのは、1595年にローマの名門ファルネーゼ家の枢機卿オドアルド・ファルネーゼ(Odoardo Farnese, 1573~1626)に招かれ、その庇護を受けるようになってからです。1597年からは代表作となるファルネーゼ宮殿の天井装飾を手がけます。弟子のドメニキーノ、グイド・レーニなどを動員して1600年に完成したこの天井装飾は畢生(ひっせい。終生、一生)の大作となりました。この『聖母被昇天』もローマ時代の作品です。

ティツィアーノ『聖母被昇天』(1516~17年、ヴェネツィア、サンタ・マリア・グロリオーザ・デイ・フラーリ聖堂所蔵)

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【鑑賞のポイント】

躍動感のある聖母の被昇天ですが、お棺から飛び出すような姿で描かれているのは劇的な効果をねらったバロック時代の特長です。両手を大きく広げて天使たちに支えられて飛び立つ瞬間のようです。ティツィアーノの聖母被昇天から大きな影響を受けていると思います。

 

【参考】

小学館『世界美術大事典』
Wikipedia日本語版「アンニーバレ・カラッチ」

 


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