アート&バイブル 12:書物の聖母


サンドロ・ボッティチェリ『書物の聖母』

稲川保明(カトリック東京教区司祭)

2016年1月16日~4月3日、日伊国交樹立150周年記念企画として、ボッティチェリ展が東京都美術館で開催されました。そのポスターに掲載されていたのがこの「書物の聖母」でした。ボッティチェリ(Sandro Botticelli, 生没年 1544/45~1510)というと、宗教画になじみの薄い日本では、「ヴィーナスの誕生」(図1)や「プリマベーラ(春)」などギリシャ神話を題材とした、いかにも泰西名画的な作品が人気のようですが、この展覧会によって聖母を描く作品も新たに注目されたといえるかもしれません。

図1:サンドロ・ボッティチェッリ『ヴィーナスの誕生』(1483年頃、フィレンツェ、ウフィッツィ美術館)

ボッティチェリはフィリッポ・リッピ(Fra Filippo Lippi, 1406頃~1469)を師として絵を学び、それゆえリッピの描く甘美な聖母の表情、姿を引き継いでいます。当時、聖母を描く時の甘美さにおいて定評があったのはぺルジーノ(Perugino, 1445/50~1523)ですが、こちらの弟子にはラファエロ(Raffaello Sanzio, 1483~1520)がいます。ラファエロがマドンナの画家と呼ばれますが、ボッティチェリもラファエロに劣らぬマドンナの画家の一人です。

この絵は窓辺に聖母が腰をかけ、ひざに抱いた幼子イエスに聖書のことばを読み聞かせているという姿です。聖書のことばを読んでいる時、聖母は、ふとこの幼子はやがて全人類の救いのために犠牲として捧げられなければならないということに思いが至り、ことばが止まってしまった様子に気づいて、幼子が聖母を見上げて何かを語りかけているように見える作品です。

 

【鑑賞のポイント】

(1)聖母の光輪とベール
聖母の頭の背後にある光輪は金色で、繊細なレースのように描かれており、ボッティチェリらしい優雅さにあふれています。聖母の肩にかかるベールも半透明で、聖母の髪を半ば隠そうとしながらもその優美さは隠しきれない美しさとして描かれています。聖母のマントの肩には星の姿が描かれています。

サンドロ・ボッティチェリ『書物の聖母』(1483年、ミラノ、ボルディ・ベッツォーリ美術館所蔵)

(2)聖母の表情
この聖母の表情こそ、ボッティチェリの特徴、得意とするところです。ボッティチェリの描く聖母の顔には、かすかな憂いを含んでいます。しかし、それは恐怖や不安ではなく、あくまで憂いなのです。この幼子の過酷な運命、しかしそれが神の御心ならば、人間の目には悲劇的なものであろうとも、その先にあるものを信じようとする聖母の心の動きが憂いという表情の源となっているのです。

(3)聖母を見上げる幼子
聖母の声が止まってしまったことに気づいて、幼子が聖母の顔を見上げています。幼子の左手には三本の釘と茨の冠があります。この幼子が救い主として、その使命をどのように実現するかについて、イザヤ預言書の52章13節から53章12節にある「苦しむしもべの歌」(第四のしもべの歌)にイエスのメシアとしての自己理解が示されています。幼子は「お母様、心配なさらないで下さい。これらの苦しみを通してメシアは復活することになるのです。それによって御父は栄光をお受けになるのです」と語っているように見えるのです。

(4)聖母の手と幼子の手
聖書におかれた聖母の右の手と幼子の右手が重なっており、この聖母子の絆の深さがさりげなく、描かれています。その上には白と赤のバラの花も飾られています。

 


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