「father カンボジアへ幸せを届けた ゴッちゃん神父の物語」対談2


女性観

伊藤 映画では子供の頃のお母様の思い出とか、おっぱいを吸ったとかいうことをおっしゃっていましたが……。

後藤 あれは小学校の5年生ぐらいのことだったろうか。兄妹がたくさんいたものですから、親の関心が生まれてくる小さい子にいきます。母の愛情をこちらにひきつけたかったんでしょう。そういうこともありました。恥ずかしいですね。

伊藤 ドミニコ会の押田神父様が同じようなことをおっしゃっていました。お母ちゃんの垂乳根が……と。

後藤 押田神父さんのお母さんも、ここの所属だったんです。よく知っています。そうですか、垂乳根の師ですか。

伊藤 後藤神父様が司祭になろうと決めた時に、彼女からの手紙に返事を書かなかったということですが、押田神父様も同じようにドミニコ会に入る時に、お母様が駅に見送りに来てホームでずっと手を振っていたのに、見もせずに去ったというようなことをおっしゃっていました。

後藤 映画の場面ではかわいいお嬢さんでしたが、あんなにかわいいお嬢さんではなかったんです。田舎の男にとって、東京で焼け出されてきた女性でしょう。東京の女性というのはすごくきれいに見えるんです。あの頃は相合い傘だって許されないわけでしょう。だから、僕はその彼女をたった1回だけ抱きしめたの。それは昭和天皇が地方巡幸なさった時、天皇を見に行きました。彼女は私より背が低くて見えないわけです。その時に思う存分後ろから抱き上げて「見えるか」としたわけです。後にも先にも1回だけです。

伊藤 断ち切るというのは、後藤神父様や押田神父様の世代では、司祭職に向かうという時には、もう帰らないという決意だったわけですよね。

後藤 そうですね。一刀両断の元に断ち切ったという感じでした。だからそれっきり行き来もしないし……。全部断ち切ったつもりだったのに、夏休みがきて、僕は勘当されたもんですから、家に帰れなかったんですね。みんな家に帰ってしまって、神学校は、私1人になってしまいました。淋しくなって家に手紙を出しました。すると、親父がすぐ帰って来いと言ってくれました。

そして帰って行きますと、親父が今日、あいつが帰ってくるからとビールを3本買って来て、当時は冷蔵庫がありませんから、朝、籠の中にビールを入れて、井戸の中に吊して冷やして置いてくれました。1杯飲めというので、出してきて1杯飲んで、「おい、お前、彼女から手紙が来ているぞ」と言って束になった手紙をドンと出してきました。あれで助かったんです。もしあれを転送していたら、指導司祭に呼ばれて「この女は何者か」と言われ、それでクビになっていた奴もいるんです。あの頃は手紙が来ると、指導司祭がみんな封を切って見てしまいます。それでいつもいつも来ると、これは何者かということになってしまいます。

伊藤 神父様は司祭になるために断ち切っても、彼女の方は、思っていたわけですよね。

後藤 手紙を出しても何も返事は来ないし、最初の頃は熱烈な手紙ですが、だんだんトーンが下がっていくわけです。そんなわけで全部読んで、初めて悪いことをしたなと思い、その手紙をかまどにくべて焼き、ハガキで返事を書きました。あの頃のハガキは小さかったんです。その小さいハガキの表に半分線を引いて、そこから書き始めて、どうしても書き切れないので、ハガキ5枚にその1、その2、その3と番号を振って、投函しました。なぜハガキに書いたかというと、家族みんなに見てもらいたかったんです。それで終わりです。

これには後日談がありまして、今から10年ぐらい前、NHKのラジオ深夜便に2晩続けて出たんです。1ヵ月後に評判がいいからと再放送がありました。再放送が終わった次の日にインタビューをしたオリンピックをやった花形アナウンサーの川村さんが「彼女から電話ありましたか」と電話してきました。「彼女が生きているか、死んでいるか、どこにいるか知りません」と答えました。「おかしいですね。300万人の人が聞いているんですから、生きていれば聞いているはずです」というんです。連絡もないし、もし生きていて連絡をしてきたって、70何年も何の行き来もしていないのに、急に出て来たって、話題もないし、続かないし、迷惑ですよ。そういうわけでそれっきりになりました。

伊藤 神父様の方は返事も書かないのに、そんなにたくさん手紙を書いてくれたものを読んで、心は揺れなかったんですか。

後藤 その時は無我夢中で、この道しかないと思って、ちょっとでも脇見したら、不埒な心構えだと思っていました。

あの頃は「聖アルージョの模範」というのがありまして、アルージョは女性の顔は絶対見なかった。お母さんの顔も見なかったと。それをそのまま信じて、私は大学に行っても、女の子たちがいっぱいいても、女性の顔を絶対見ませんでした。見たら心揺れ動くでしょ。

神学校でブラスバンドをやっていたんです。指導者に「日本楽器に行って楽譜とラッパのピースを買ってこい」と言われました。僕は悪魔の殿堂に入るようなつもりでした。あの頃、名古屋の栄にある日本楽器は美女をそろえていたんです。悪魔の館に入るものですから、顔を見ないようにして、必要なものだけを取って、「これください」と相手の顔を見たんです。そしたら、バーンと印象を受け、しまったと思いました。家に帰るバスの中でもそのイメージが出て来ますし、その日の晩の夕の祈りの時にも、「あの子に会いたいな」と。次の日、ミサの時も「どうしたらあの子に会えるのかな。何か用事がないかな」と思うようになりました。それで私は弱いんだなと思い、この道を行くためには、女性は悪魔の手先だと位置づけたんです。悪魔の手先と位置づけたら楽なんです。

今は違いますよ。今は女性は天使の手先だと思っています。

伊藤 そうですよね。映画の中で「じいさんでも女性の足のアキレス腱を見ると心が躍る」とおっしゃっていますよね。どこで変わったんですか。

後藤 どこで変わったんでしょうか。長いこと働いていますと、悪魔みたいな人よりも天使みたいな人がいっぱいいます。これは考え違いだったなと思い、それからは天使の手先ですよ。天使の手先だから迷うこともありません。

映画の中にルオーのベロニカが出てきます。ベロニカというのは聖書の中に出てこないんです。十字架の道行きに出てくるだけです。そこで僕はハッと思いついたんです。僕はこの絵が好きだったんです。じっと見ていて気がついたんですが、小学校に上がる前に大好きだったむつこさんという一緒に遊んでいた子がいました。この子から始まって、僕の心を揺れ動かすような女性がいっぱいいたわけです。僕はその女性たちを無意識の中でベロニカの中に押し込んだんです。だから今でもベロニカを見ると、「あぁ、あの子どうしているかな」ということも出てくることがあるんですが、非常に心は穏やかで、揺れ動きません。

(第3話に続く)

4月21日(土)より東京・吉祥寺COCOMARU THEATERにて絶賛上映中

公式ホームページ:http://father.espace-sarou.com/


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