「供えものの準備」といわれるわけ
答五郎……こんにちは。「感謝の典礼」のことを考え始めて、前回まではミサでいわれる「あがない」とか「罪のゆるし」とかの意味について少し考えてみたね。きょうからは、式の進行に従って「感謝の典礼」の最初の部分を見ていこう。「供えものの準備」という表題で呼ばれるのだけど。
問次郎……はい、ミサを見ていて「ことばの典礼」が共同祈願で終わったあと、大きく場面が転換するなと感じるところですよね。
答五郎……たとえば、どんなふうになっているかな。
問次郎……朗読台が中心だったのに対して、祭壇が中心になりますよね。司祭と奉仕者が、そこでいろいろと準備作業をしているという感じです。
美沙……それと、献金かごが回されて、一人ひとり財布を出すなど、皆がいそいそと動き出す感じも面白いと思っていました。奉納の歌が始まりますし。
答五郎……献金もけっこうな大仕事だと思わなかったかな。その中で、奉納の歌をどうして歌うのかと思うかもしれないけれど、一人ひとりの動きもその共同体としての一つの心で行われているということを表現しようとするものなのだよ。そしてどうなる?
美沙……聖体になるパン、「ホスティア」と呼ぶ人もいますね。それとぶどう酒と水の入った小瓶を持つ人、それと献金かごをもつ人、子どもの場合もありますね。その人たちが聖堂の通路の後ろのほうから、迎えに来た侍者を先頭に祭壇の前の司祭たちのほうに向かっていきます。
答五郎……それが奉納行列と呼ばれているところだよ。パン、ぶどう酒と水、そして献金が、司祭や祭壇での奉仕者(侍者)たちに受け取られると、そのあとどうなる。
問次郎……パンが祭壇の器に入れられていたり、ぶどう酒と水の小瓶が祭壇の横の台に置かれていたり、それらを使っていろいろと準備の所作がありますね。
美沙……歌を歌うことに集中していて、どんなことをしているかあまり見ていないこともあるわ。
答五郎……そうした一連の動きの最後に来るのはなんだろう。
問次郎……奉納祈願ですね。結局、奉納の歌とか奉納行列ということばがここの部分で使われているとすると、「奉納」というのが「供えものの準備」を意味する用語なのでしょうか。
美沙……字を見ると、神さまの前に「お納め奉る」ことと理解されます。同時に献金もあって、これも供えているのですよね。準備というよりも。
答五郎……日本語としてはそうなのだけれど、ミサの用語として注意が払われているのは、「奉献文」の中の「ささげます」と区別する意味があるようだね。奉献文の中のことは「奉献」で、そのための「供えものの準備」を「奉納」と区別しているらしい。だから区別はするけれど、結びつきがあるということを考えるのが重要なのだよ。
美沙……「感謝の典礼」の中心、奉献という中心に向けての準備段階という意味ですね。
答五郎……そう、わかりやすくするためには、まず行為としては、まさしく「主の食卓の準備」だと考えるのがいいよ。イエスが行った食事でも祈りの前にまず食べ物、飲み物が準備されていただろう。
問次郎……あのぉ、ところで、イエスはパンとぶどう酒を使っただけなのに、今は水も準備しますよね。
答五郎……ああそうだね。いろいろと理由や経緯があったらしいのだけれど、教会の古くからの慣例と理解しておいていいだろう。2世紀半ばにユスティノスがもう言及しているくらいだから。ともかく行為としては、食卓に食べ物と飲み物を用意する動作と似たことが行われている。しかし、それはどんな食べ物、飲み物かが、ミサでは問題となるのだよ。
美沙……あぁ、たしかに。ふつうの食事の食卓準備に尽きるものではないですね。その意味合いが「供えものの準備」といわれているのですね。
答五郎……鋭い! 自分なんかそのことを理解するために何十年もかかったほどなのに。では、どういう意味で、ふつうの食卓準備と違うのだろう。
問次郎……それは、つまり、パンもぶどう酒も、ただの食べ物、飲み物ではなく、キリストのからだ、キリストの血になるものだから、という意味なのではないですか。
美沙……奉献文でのことばを思い出すわ。「いのちのパンと救いの杯をささげます」というところ。ただの食べ物、飲み物ではなく、それはキリストのからだ、キリストの血だからですよね。
答五郎……そうだね。こうして奉献文で告げられ、行われる核心的なこと、つまりそれが「奉献」とか「いけにえ」とか呼ばれているもので、それに向かって準備するところという意味でここは「供えものの準備」といわれているわけだよ。もっとも、「食べ物・飲み物」が供えものとなり、奉献がなされるというところの意味を考えるためには、そこに伴われている祈りを味わう必要がある。すると、びっくりするぐらいに壮大な見方が示されることに気づくのさ。
問次郎……びっくりするぐらいに……? えぇ、何でしょうか?
美沙……わたしは、献金の意味も気になりますけれど。
答五郎……たぶん、そのこととも関係してくるはずだよ。
(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)