ミサ曲 1


齋藤克弘

 教会の音楽というと一番なじみの深いものは「ミサ曲」ではないかと思います。音楽を専門に勉強されていない皆さんも「ミサ曲」という名前はご存じでしょう。モーツァルトのミサ曲、特に「戴冠ミサ曲」をはじめ、ベートーヴェンの「荘厳ミサ曲」、あるいは、バッハの「ロ短調ミサ曲」など、どこかで聞いたことがあるかもしれませんね。モーツァルトでは映画「アマデウス」で有名になった「レクイエム」も正式には「死者のためのミサ曲」と言います。他にも古くは14世紀ごろから現代まで、多くの作曲家が「ミサ曲」を作曲しています。
名前もご存じで聞いたこともある「ミサ曲」。その実態については意外とご存じないことが多いのではないでしょうか。そこで、今回からこの「ミサ曲」について少しうんちくを傾けてみたいと思います。

「ミサ曲」と言っても現代のミサは式次第(式文)すべてを歌うことが原則ですからミサ自体が一つの曲のようになっているわけですが、1962年から開催された「第二バチカン公会議」による典礼の刷新以前、式次第のほとんどの部分は司祭が一人で、場合によっては沈黙で祈っていたので、信徒が唱えたり歌ったりする部分はほんのわずかでした。その中で特に信徒が大きな役割を担えたのが「ミサ曲」だったのです。今は一般的なことばである「信徒」と書きましたが、当時、すなわち典礼の刷新以前は「信徒」と言っても「ミサ曲」を歌ったのは、多くの場合「聖歌隊」だったようです。その理由は、といったことはおいおい書いていくことにして、まず、ちょっと固い言い方ですが「ミサ曲」の定義についておさらいしておきたいと思います。

「ミサ曲」(ラテン語=Missa)は「あわれみの賛歌(Kyrie)」「栄光の賛歌(Gloria)」「信仰宣言(Credo)」(ニケア・コンスタンチノープル信条)「感謝の賛歌(Sanctus 、後半の Benedictus を別曲とする時代もあり)」「平和の賛歌(Agnus Dei)」の五曲を総称する呼び名です。時代によっては派遣のことば Ite Missa est (行きなさい ミサは終わった)を加える場合もありました。最初にも触れた「レクイエム=死者のためのミサ曲」の場合は構成が異なりますが「レクイエム」についてはこのシリーズの中で何回か触れる機会を作って、そこで詳しく書きたいと思います。なお、「ミサ曲」五曲の「信仰宣言」が入っていないものを「Missa blevis(短いミサ曲)」と呼ぶこともあります。また、プロテスタント教会の場合は、式文の中に「感謝の賛歌」と「平和の賛歌」がないことから「あわれみの賛歌」と「栄光の賛歌」の2曲だけを「MIssa blevis」と呼びます。

もう一つ、現在ではほとんど使うことがないことばですが、「ミサ曲」をはじめとする一年を通じて基本的にことばが変わることのないし気分を「通常式文(ordinarium)」、その日の典礼によってことばが変わるものを「固有式文(proprium)」と呼びます。前者には「ミサ曲」のほかに「主の祈り」などがあり、後者は「入祭の歌(入祭唱 introitus)「答唱詩編(昇階唱 graduale)」「アレルヤ唱(alleluia)」などがあります。現在では奉献文もそこに含まれる叙唱も季節や典礼の種類に応じて使い分けをすることなどから、この「通常式文」と「固有式文」という名称は用いられなくなっています。ただ、音楽史などの勉強をする場合には、まだ、この名称が使われる場合がありますので、覚えておくこと便利かもしれませんね。

最後になりますが、今までの記述の仕方を見ていただいてわかると思いますが、「ミサ曲」は基本的に、第二バチカン公会議の典礼の刷新以前は基本的にラテン語の歌詞が用いられていました。「基本的に」と書いたのは最初に歌われる「あわれみの賛歌」Kyrie leison Criste eleison はギリシャ語の借用、感謝の賛歌の中の Hosanna はヘブライ語からの借用です。ほかにミサの式次第の中では「アーメン」と「アレルヤ(元はハレルヤ)」がヘブライ語からの借用なので、ここからも「ミサ曲」は相当古い起源をもつ歌ではないかと想像できると思います。このようなことを基本にして、次回から「ミサ曲」のいろいろな側面を見ていきたいと思います。

(典礼音楽研究家)

 


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