シャルル・ル・ブラン作『聖家族(食前の祈り)』
稲川保明(カトリック東京教区司祭)
シャルル・ル・ブラン(Charles Le Brun, 生没年1619~1690)は、フランスの画家、室内装飾家、美術理論家として有名です。ルイ14世の第一画家としてヴェルサイユ宮殿やルーヴル宮殿等の内装を担当したほか、王立絵画・彫刻アカデミー(後の芸術アカデミー)やゴブラン工場の設立運営にも関わり、17世紀フランス工芸・美術界に強い影響を与えました。
ル・ブランは1619年2月24日、パリで彫刻家の家に生まれます。1632年、フランソワ・ペリエ(生没年1560~1650)に絵画を学び、その後ル・ブランの才能を認めた大法官ピエール・セギエ(生没年1588~1672)により、1634年シモン・ヴーエ(生没年1590~1649)の工房へ預けられます。1638年にはすでに宮廷画家として宰相リシュリュー(生没年1585~1642)から最初の注文を受けていましたが、1642年、セギエの経済的支援を受けてニコラ・プーサン(生没年1594~1655)ともにローマに赴き、プーサンのもとで最先端の美術を学んでいきました。
1658年以降、ル・ブランは建築家のルイ・ル・ヴォー(生没年1612~1670)、造園家アンドレ・ル・ノートル(生没年1613~1700)とともに財務卿ニコラ・フーケ(生没年1615~1680)が所有するヴォー=ル=ヴィコント城の建設に着手します(1661年完成)。この城はこの3人による初めての共同作品で、彼らがここで造り上げた景色や物による絢爛豪華な新秩序は、その後のルイ14世様式の始まりとなりました。彼らはフーケの失脚後、ヴェルサイユ宮殿を造ることになるのです。
ルイ14世(在位年 1643~1715)は、ル・ブランのヴォー=ル=ヴィコント城での仕事や、王が依頼したアレクサンドロス大王の歴史画を賞賛し、1664年、彼を王の「第一画家」とし、爵位と年間12,000リーブルの年金を与えます。国王は彼を「古今の最も偉大なフランスの芸術家である」と宣言したそうです。(以上、Wikipedia日本語版を参照)
この絵は、シャルル・ル・ブランの代表的な宗教画の一つです。パリのマレ地区にあるサン・ルイ聖堂の礼拝堂祭壇画として、大工同業組合の依頼により1656年に制作されました。イエスの養父である聖ヨゼフは大工の守護の聖人としても知られており、この絵の下の部分には木槌やのみなどの大工道具も描かれています。
【鑑賞のポイント】
(1)ヨゼフは何故、立ったまま、杖までもっているのか?
(2)ヨゼフの横顔はダ・ヴィンチの『最後の晩餐』の使徒シモン(最右端に描かれている)に相似していないでしょうか?
(3)イエスの両手のポーズはおもしろい形に組み合わされているのは?
(4)マリアのベールを上げているポーズは、ピエール・ミニャール(生没年1612~1695)の『葡萄の聖母』の影響か?
(5)テーブルの下に置かれている水差し(蓋つきの豪華な物)はフアン・デ・フアネス(生没年1523~1577)の『最後の晩餐』などにも登場していることを考えると、この食卓も最後の晩餐を暗示しているのでは?
(6)パンの後ろに隠れたナイフの柄が見えます。そのナイフの先端は少年イエスの方を指し示しているように見えますが?
(7)テーブルの皿の上に置かれた果物は? リンゴ・洋ナシ・ザクロ?
(8)少年イエスのまなざしはどこに向けられているのでしょうか?