齋藤克弘
楽譜の発明によって、共通の歌い方が確立され、多くの修道院で歌われるようになったグレゴリオ聖歌ですが、数百年という長きにわたって歌われ続けてきたわけではありませんでした。現代のように、乗り物も人の流れも速すぎる時代ではありませんでしたから、100年以上は歌われていたようですが、次第次第にグレゴリオ聖歌から派生した他の様式、形式の歌にとってかわられていきます。
グレゴリオ聖歌は皆さんもご存じのように、本来は伴奏のない(ア・カペラ)旋律だけ(単旋律)の歌ですが、このグレゴリオ聖歌の旋律を土台として、まず、上に別の旋律をつける、オルガヌムという形式の歌が作られるようになります。いわゆる「ハモる」歌ですね。でも、この時代の「ハモる」というのは、現代のものと音の感覚が違っています。現代の「ハモる」というのは、たとえばドとミという音楽用語でいうところの3度音程ですが、この時代はドとソという5度音程を使っていました。なぜかというと、ドに対して1オクターブ上のドは音の振動(周波数)が二倍になる倍音、その上のソ(最初のドから1オクターブ半)は三倍音という、いわば音の振動が響きあうからです。これはピアノでト音記号の一番上の線の一つ上のソの音の鍵盤を音を出さないように静かに押したままにしておいて、同じト音記号の下の線の一つ下の線のドの音を強くたたくと、ソの音がかすかに鳴ることで確かめられます。ちなみに現代のピアノの調律はこのような倍音がさほど響かない平均律という調律なのでかすかにしか響きませんが、本来の倍音関係にある音ではもっとよく響くはずです。
このような音の響きをよく感じることができた歌い手がいて、興味半分に違う旋律をつけるようになったのかもしれません。そこから、オルガヌム(Organum)という形式ができました。オルガヌムは最初、上の旋律でグレゴリオ聖歌の元の旋律を歌い、下では最初同じ音から歌い始め、途中でこの五度や四度の音程を歌い、最後はまた同じ音で歌終わるという歌い方がされました。しかし、このオルガヌムも誰がいつどこで始めたのかはまったくわかりません。
同時にもう一つオルガヌムの成立に関係あると考えられるのはオルガン(Organ)の導入です。オルガンというと現代では、キリスト
教の(といってもほとんどの場合、西方=欧米の教会)教会音楽にとっては欠かせない楽器ですが、その成立は古く、すでに紀元前3世紀には現在のギリシャでオルガンが作られています。オルガンは当初、キリスト教会では異郷の楽器として使用が禁止されていましたが、最も早い記録では9世紀にヨハネ8世教皇がフライジング(現ドイツ)の司教にオルガン建造の名手を派遣するようにとの手紙を書き送っています。
そして、オルガヌムの成立とオルガンの教会への導入を見てみると、ほぼ、同じ時代であることがわかります。カタカナではわかりにくいですが、オルガヌム(Organum)とオルガン(Organ)ローマ字で比較するとどちらも全く同じ語幹であることがわかります。ですから、オルガヌムの成立とオルガンの導入が何かしらの関係があると考えることもできるのではないでしょうか。オルガンについてはいずれ詳しく書きたいと思いますが、オルガンのパイプ音列も倍音関係になっています。このことを考えると最初、グレゴリオ聖歌と同じ音を弾いていたオルガンで、人数が多くなったから倍音列のパイプを鳴らしたところ、そこで響いていた倍音を歌う修道士が出てきたのかもしれません。悪い言い方ですが、たまたま伴奏のきちんとした音を歌えなかった「音痴」の修道士の歌がきっかけで、オルガヌムが成立したかもしれませんね。
このように、オルガヌムという複数の旋律を歌う、より複雑な歌い方が次第に普及したことで、単旋律、すなわちメロディーだけのグレゴリオ聖歌は次第に歌われなくなっていきました。他にも、要因はありますが、これが大きな要因の一つではないかと思います。
この後、オルガヌムは二声から三声へと声部が増えていき、歌い方も複雑になっていきます。それと同時にグレゴリオ聖歌は次第に歌われなくなり、楽譜だけでかろうじて生き残ることになります。その楽譜も、16世紀にはメディチ家というイタリアの富豪によって作られた楽譜において勝手に音を変えられることになり、演奏においても楽譜においてもグレゴリオ聖歌は大きな痛手を受けることになってしまいます。このようにして、見失われたグレゴリオ聖歌にもう一度光が当てられるのは、この後、およそ300年後のことです。
(典礼音楽研究家)