スペイン巡礼の道——エル・カミーノを歩く 33


古谷章・古谷雅子

5月27日(土) ボアディージャ・デル・カミーノ~カリオン・デ・ロス・コンデス(2)

歩行距離:25km
行動時間:7時間5分

シルガから宿泊地カリオン・デ・ロス・コンデスまでは県道を6kmほどだ。ここは人口2400人、ブルゴスに葬られている英雄武人エル・シッドゆかりの古い大きな町だ。彼の3人の娘たちがこの地の公爵達(コンデス)に嫁いだものの大切にされなかったことに立腹したエル・シッドが婿たちを皆殺しにしてしまったそうだ。中学生の頃観たチャールトン・ヘストンとソフィア・ローレンのハリウッド映画『エル・シド』のイメージよりも相当暴れん坊だったようだ(映画は父を決闘で殺したエル・シッドへの憎しみと彼への恋心に苦しむヒメーネスとのラブロマンス)。

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この町ではサンタ・クララ修道院とサンタ・マリア教会にそれぞれアルベルゲがあるのだが、私たちは前者に泊まるつもりだった(後者は歌うシスターとの夜の集いで有名だ)。前者には別棟にシャワー・トイレ付きの個室オスタル部があるはずなので、前期高齢者としてはここらでゆっくり休息したかった。早く着いたこともあり2人部屋が取れた(2人で€50、私たちにはかなり贅沢だが喜捨と考えよう)。塀の中には広い中庭を囲んでロの字に建物があり、正面は受付、右手はアルベルゲ部、左手がオスタル部で、居室から全体が見下ろせる。自炊設備や洗濯場・物干し場はアルベルゲ部にあるので、そちらへ入るための鍵の隠し場所などをオスピタレロ(宿泊の世話人)が説明してくれたが修道院だけあって非常に管理が行き届いている(居室に行くまで3か所の錠を開けなければならない)。

個室は極めて簡素だが清潔で静かだ。西英仏独伊語で規則が表示されていた(静寂を守ること、使用したシーツやタオル類は廊下の籠に入れて出立することなど)。日課作業も自分のペースで快適に終わらせ町に出た。修道院には飲食施設はない、またスペインの宿泊施設では珍しく Wi-Fi もない。オスピタレロが教えてくれた「ラ・ムラージャ」というレストランとバルを兼ねた店で free Wi-Fi が使えるというのでまずはそこでカーニャ(生ビール)と軽食。地元でも人気の店のようだ。

町の地形はメセタの中では高低差がある方で複雑だ。高台にいくつか教会があるが、反対側は木々の緑豊かなカリオン川に落ち込んでいる。まずサンタ・マリア教会を見てから、町を出るルート偵察を兼ねて立派な石のカリオン橋を渡ってみた。サン・ソイロ修道院という歴史的な建物の中庭の回廊を見たかった。しかし私たちとは無縁の富裕層が宿泊する豪華な五つ星ホテルに改造されて、奥までは入れなかった。町に戻り、丘の上のロマネスク様式の教会とルネッサンス様式の教会を外側から見る。

町中では楽しみにしていたサンティアゴ教会(今は資料館)の正面装飾を見ることができた。やや長くなるが、前述の村田先生の書物から引用すると

「扉口上部に、エバンゲリストの象徴に囲まれたキリストを中心に12使徒の彫像が横一列に並び、その下に、タンバンを欠いたアーチがある。その単純な構成がみごとだ。それがすっきりしているだけに、彫刻が引き立つ。12世紀末、ゴシックへ移行しつつあるときの制作だけあって、立体的であり、リアルな訴求力がある。そして、ここで注目すべきは、その弧帯に、ロマネスクにはめずらしい職人たちの姿が刻まれているということだ・・・」

ふつうは楽器を持った老人が並ぶところに、コンパスを持った建築家、鋏を持った美容師、ロクロを回す陶工など当時の職人の姿が彫られている。先生は、巡礼宿駅の発展による都市化に伴う様々な職業の市民の蝟集と、ギルド成立への動きの反映ではないかと述べられている。このような地理的・時間的発展の痕跡が道中の楽しみでもある。

夕食はまた「ラ・ムラージャ」で。田舎では早めの時間でも定食(メヌー・デル・ディア)を食べることが出来た。庶民向けの定食ではしばしば地元の季節ものが出てくる。この日も不思議な野菜と生ハムの煮込みが出てきた。大きめの芽キャベツのような球が6、7個。わあ、美味しい!これはアーティチョーク(アザミの蕾)の芯だった。デザートもフワフワのホイップクリームに大きなイチゴがたっぷりで満足した。

ここではちょっと興味を引くことがあった。次々と杖や車椅子の高齢の男女が入ってくる。介助人がついている人もいる。殆どの人が楽しげにアルコール飲料を飲んでいる。窓際の席だったので様子を見ていると道路の反対側の「Nuestra Señora de las Mercedes(慈悲の聖母マリア)」と正面壁に掘られた美しい建物からやってくるのだ。(おそらく教会が経営している)老人施設だったのだ。今日は土曜日の午後だから外出も自由らしい。高齢者もおしゃれをしてバルに来る、ということが当たり前のお国柄らしい。

この日は到着後の街歩きと見物が長く、合わせれば30kmを超す距離を歩いた。しかし夜は話し声も聞こえない修道院らしい完璧な静寂の中でゆっくりと休むことが出来た。

 


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