森崎東監督夫妻と歩いた原城祉


鵜飼清

いまから30年も前のことになるのだが、親しくさせてもらっていた映画監督・森崎東さんの実家を訪ねたことがある。森崎さんは長崎県の島原出身であり、お母さんの法事のために帰郷されていた。

ぼくはこのとき、堀田善衛の『海鳴りの底から』を読み始めていて、監督と一緒に原城祉を歩きたいと思っていた。島原の乱を素材にしたこの長編小説は、ストーリーの間にプロムナードを配置した特色を持っている。ムソルグスキーの音楽『展覧会の絵』を意識して挿入したというプロムナードには、堀田の1つの視点から考えが述べられる。この形式にも魅力を感じ、堀田が歴史小説で試みた「現代」に対する問題意識の発露を受け止めたいと思った。

幕府軍12万5千人を相手に、一揆軍3万7千人がたたかったという原城祉を歩くと、島原の乱の説明板に出会う。畑仕事をしている農夫は「いまでも畑から人骨が出るんですよ」と話す。島原の乱が、キリスト教弾圧に抵抗する信徒たちの氾濫とみるか、ある種の経済闘争とみるのかは、別れるところである。

森崎さんは『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』という映画を作ったばかりだった。原発ジプシーが主人公のこの映画では、原発の怖ろしさが描かれる。科学技術文明の行先が、人力を超えたところにあることを知らされる。

原城祉の土を踏みながら、一揆で死んでいった民たちを想った。遠く天草を眺めやる地蔵に、寛永14、15年(1637、8年)の慟哭を聞くようだった。領主や代官の重税に苦しむ民たちの救いとは、なんだったろうか。今の世は地獄でも、やがて天国へ行ける、そう思っていたのだろうか。

『海鳴りの底から』(『堀田善衛全集7』)の解説「状況の全体へ向けて」で松原新一は「『海鳴りの底から』全体をとおして〈近代〉と〈反近代〉との対立・相剋の問題を、島原の乱という歴史事件を借りて剔抉せんとする堀田氏のモティーフが反映していることは確実である。」とし、谷川雁の「原点が存在する」の一節を引用する。「『段々降りてゆく』よりほかはないのだ。飛躍は主観的には生まれない。下部へ、下部へ、根へ、根へ、花咲かぬ処へ、暗黒のみちるところへ、そこに万有の母がある。存在の原点がある。初発のエネルギーがある。」森崎映画が発するところと、堀田善衛の試みを感じるとき、この言葉がずしんと腹に落ちた。

原城祉を歩いたあくる日、ぼくは森崎監督と博多へ向かい、千石イエスの「シオンの娘」という店に行った。

(評論家)

 


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

thirteen − 5 =