マザーテレサ帰天20年


野田哲也(介護士、神の愛の宣教者会ボランティア)

カルカッタ(現コルカタ)のマザーテレサの修道会(Missionaries of Charity 略はMC。神の愛の宣教者会)の本部の1階にはマザーのお墓がある。その墓石の上にはファティマのマリア像があり、墓標にはこう刻まれている「Love one another as I have loved you」マザーはまさにこの聖書の言葉のように生涯を生き抜いた。

マザー・テレサの墓(写真提供:町田雅昭)

私はマザーハウスに行く度、まずマザーに逢いに行き、マザーの長方形の墓石に両手をあて、その文字を黙読しながら、それがじわじわとほんもののマザーの顔のように見えてくると、いつの間にか、マザーと祈りのうちの会話を始める、それが1日の糧となり、癒しとなり、私の身体を動かせてくれた。言葉になるものから言葉にならぬものまでが私の全身を駆け巡り、気づくと愛で満たされるのであった。それから私はゆっくりと跪(ひざまづ)き、額を墓石にあてると、肌身でマザーの愛を感じられるのであった。

3代目になる現総長のドイツ人シスタープリマは朝食後仕事に向かう前に必ず1人でマザーとの会話をしている。マザーの肌の温もりは感じないであろうが、もしかすれば、マザーの肌の温もりを感じるかのごとく、心のうちに現存しているマザーとの会話をしていた。

MCを継続させていくためのシスタープリマの重圧とはいかなるものなのか、それはマザーが背負った十字架であり、マザーは彼女を最愛の娘を守るように今もなおしっかりと見守っているだろう。2016年3月にはイエメンのアデンでMCシスター4人とワーカーたち12人がテロリストによって銃殺された。その時本部のマザーハウスから世界中にあるMCの施設にはシスタープリマから手紙が届けられた、その手紙が驚くほどイエスの愛に満ちていた。きっとシスタープリマはマザーと一緒にその手紙を書いたのかも知れないと思うほどであった。

物質的なことを言えば、死を待つ人の家ニルマル・ヒルダイやプレムダンの遺体安置所にはマザーが亡くなってからクーラーがついた。これは必要だとあるMCブラザーは言った「遺体からの死臭がすごかったこともあったから」「遺体を運ぼうとして持った時に自分の指が遺体に食い込んだこともあった」と。

私は20年前からカルカッタに行くたび、路上から患者を施設に運ぶことをしてきたが、患者たちやその現状に変わりはない。シアルダー駅の郊外にあるMCの治療所で一緒に働いたシスターもそう言っていた。

現在もMCは各国に新しい施設を作っている、最近では5月にアルゼンチン・ブエノスアイレスにシスターたちの施設ができた。その場所にはとても危険な地区にあり、私の友人は司祭かシスターと一緒でなければ1人では歩けない場所だと言っていた。

マザーが生きていた時と同じようにシスターたちは現在も変わらずにイエスの愛をあらゆる場所に微笑みを持って運んでいる。マザーは徹底的に聖書の言葉に生きた、それを誰もが見てわかるように行いとしていた、それは現在のシスターたちも変わりようがない。マザーはただひたすらにその生涯をGood News「福音」を伝えようと生きた、それは現在のシスターたちも変わりようがない。

マザーはいつも言っていた「ほほえみを保ちなさい。苦しみのなかにあって、イエスにほほえみなさい。なぜならば、神の愛の宣教者になるためには、あなたは快活ないけにえとならねばならないのです」マザーのイエスへの愛はマザーの愛する子たち、MCシスター、MCブラザー、MCファーザーたちによって、神に見守られながらいきいきと引き継がれている。

 


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