エンドレス・えんどう 7


人間は、日々、言葉というものを使ってコミュニケーションをとっていますが、その言葉というものの使い方は、なかなか難しいものです。たとえば、職場で上司や部下に伝える言葉も、その真意が伝わっていない場面が多々あり、それは人間関係の難しさを示しています。さまざまな人間関係の中で、私たちは言葉に疲れてしまうことがあります。そんなときにホッとさせてくれる存在が、犬や猫などの動物だという人も多いのではないでしょうか?

『深い河』の4章では、動物と心を通わせる童話作家・沼田について描かれています。沼田にとって、いつまでも忘れ得ぬ思い出の愛犬・クロは、遠藤周作が少年時代に可愛がったクロについての思い出がほぼ、そのまま語られています。両親の不和で、いつも学校の帰り道をとぼとぼ…歩いていた周作少年は〈(家に)帰りたくないよ〉*1 と、友達にも話せない哀しみを、クロだけには話すことができました。

犬や猫は、言葉を話す人間にはない能力があるのかもしれません。僕の妻も、独身の頃に、クロという犬を飼っていました。働きながら病身の両親の看護に追われ、そんな中でクロも年老いて歩けなくなり介護を要するようになり、いっぱいいっぱいになった当時の妻は心の中で〈もうこれ以上無理…〉と思い始めていたある日、クロは萎えた足で立ち上がると、いきなり走り出し、庭の柵を飛び越え、アスファルトに落下して、その生涯を終えたのでした。

僕にも、ある野良猫についての思い出があります。高校2年生の頃は、気の合う友達がいなくて、学校帰りや深夜の駅に行っては、人なつっこくすり寄ってくる猫をニャー子と名付け、可愛がっていました。高校3年生になって失恋をしたときのこと。駅のベンチに座り、ニャー子を膝の上にのせながらしょんぼりしていると、その哀しみに気付いたように「にゃあにゃあにゃあにゃあ」と頻(しき)りに鳴き始め、励ましてくれた場面が、今も思い出されます。

『深い河』の4章の中で、沼田はクロやピエロと名付けた犀鳥と心を通わせ、動物は言語を越えた次元で、飼い主の傍らに寄り添う存在となっています。そして、遠藤は、かれらの中に偏在して宿る〈同伴者イエス〉の存在を直感し、記したのでした。

(服部 剛/詩人)

*1は『深い河』 遠藤周作(講談社)より、引用しました。

 


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