詩編は架け橋……聖書朗読の配分の中で
答五郎 ……「ことばの典礼」のことを考えてきてもう9回目だね。前回は、詩編について、それが神との対話、つまり祈りとして意味のあることばだということを考え始めたね。
瑠太郎……「ことばの典礼」というときの「ことば」が「神のことば」もあれば、「神との対話のことば」という意味も含んで幅広い表現なのだなということがわかりかけてきました。
答五郎……きょうは、それがミサの答唱詩編として歌われるということから考えてみたいな。「ことばの典礼」のしくみに関係することだしね。答唱詩編は第1朗読のあとにあるね。第1朗読はたいてい(復活節以外)旧約聖書が読まれる。
聖子……詩編も旧約聖書なのに、第1朗読で読まれるわけでなく、いつも第1朗読のあとに歌われるというのは、詩編に特別な役割があるのかなという感じね。
答五郎……では、第1朗読と答唱詩編が内容的にどんな関係があるのだろうか。具体的に、2017年8月13日 になる年間第19主日A年の例で見てみよう(『聖書と典礼』を示しつつ)。
聖子……第1朗読は列王記上(19・9a、11〜13a)ね。ホレブの山に着いて洞穴の中に入ったエリヤに 対して、主が「そこを出て、山の中で主の前に立ちなさい」と言われたという場面。
答五郎……そう。やはり内容的にも神のことばがテーマとなっているだろう。エリヤも神に呼ばれた人だ。すると、主が通り過ぎて、激しい風が起こり、山が裂かれ、岩が砕かれる。それでも、主である神は風の中にも地震の中にも火の中にもいなくて、ただ「静かにささやく声が聞こえた」とある。神はことば、声としてのみ現れるということが示されるわけだ。
聖子……スペクタクルな感じで面白いわ。激しいことがいっぱい起こっているのに、神はただ「静かにささやく声」だったのね。
答五郎……そのような第1朗読(旧約朗読)に対して、どのような答唱詩編が選ばれているかな。
瑠太郎……答唱句が「神よ、わたしに目を注ぎ、強めてください。手をさしのべて」となっていて、詩句のほうは詩編85・9〜14が選ばれています。最初の連は「神の語られたことばを聞こう。神は平和を約束される。その民、神に従う民に、心を神に向ける人に」とあります。なるほど、「神のことばを聞く」ということがテーマとしてつながっていますね。
答五郎……そういう中で、神のことばを聞く人、心を神に向ける人に、神が平和を約束してくださっているという確信を告げ、またその実現を願っている。神についての告知、宣教でもあり、願いをこめた祈りでもある。
瑠太郎……そして、だんだんと神から来る正義、神から来る平和の主題に展開していきますね。
答五郎……そうだね。答唱詩編は、その日の聖書朗読の箇所と関係してそのつど違う箇所が選ばれる。その限りは、やはり前後の関係、特に前に読まれる第1朗読との関係が大事なのだよ。そこが味わいなのだよ。ところで、第1朗読の旧約朗読は年間主日の場合、どのようにして選ばれると思う。
聖子……前の主日の続きの箇所ではないの?
答五郎……前の主日つまり年間第18主日A年の第1朗読はイザヤ55・1〜3となっている。違う文書だろう。つまり旧約朗読は一つの書を次々と読んでいくかたちで配分されているのではないのだよ。
瑠太郎……というと、やはり福音朗読ということですね。
答五郎……そうだね。福音朗読の場合、A年はマタイ福音書、B年はマルコ福音書、C年はルカ福音書から(全部ではないけれど)主な朗読箇所が福音書の記載順に沿って年間主日には読まれていく。A年は、たとえば年間第18主日がマタイ14・13〜21、年間第19主日がマタイ14・22〜33とすぐ続くだろう。そして来週年間第20主日は、少し飛ぶけどマタイ15・21〜28というぐあいだ。
瑠太郎……つまり福音朗読はマタイならマタイから、だいたい順に読まれていくけれど、その日の第1朗読は福音朗読箇所に対応するように読まれるのですね。ところで、年間第19主日A年の福音朗読はマタイ14・22〜33。前に(25回目)実例として読まれたところですね。
聖子……ほんとう。イエスが湖上を歩いているのを見て弟子たちがおびえると「安心しなさい。わたしだ、恐れることはない」とイエスが言うところね。ペトロが沈みかけるのよね。
答五郎……その沈みかけるというのも、ペトロが「主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩
いてそちらに行かせてください」と試すような言い方をしたからだというところがミソなのだ。「来なさい」と命令されたのに、信仰が薄かったからだという意味でね。ここには、神のことばの力を信じなさい……という教えが暗に含まれているよね。
瑠太郎……そうすると「神のことばを聞く」という福音朗読のテーマを、第1朗読が神とエリヤとのかかわりをとおして浮かび上がらせ、そのテーマを答唱詩編も簡潔に示しているのですね。
答五郎……そういうところから、答唱詩編の詩編は、旧約聖書朗読と福音朗読の架け橋になっている。テーマをつかむのに重要なヒントが含まれているものなのだよ。典礼では、こんなふうに、詩編は旧約聖書と新約聖書をつなぐ架け橋と考えられているのだよ。
聖子……それが典礼の中での詩編の特別な地位とか役割とかいうことになるかしら。
答五郎……典礼の祈りは詩編の祈りを続けているといってもよいくらいにね。今回は、朗読配分のしくみといった少し難しい話をしたかもしれないが、このことはもう少し続けるね。
(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)