聖霊の交わりの中で
答五郎……さて、集会祈願が開祭をいわば完成させる大事なものだということは見えてきたかな。もう一つ、この祈願の重要さを示すものがあるのだけれど、なんだと思う。終わりのほうで……
問次郎……これですね。結びの句「聖霊の交わりの中で、あなたとともに世々に生き、支配しておられる御子、わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。」。ほかの祈願だと、「わたしたちの主イエス・キリストによって」というだけなのに、ここは長くなっていますよね。
美沙……集会祈願の荘重さが感じられるのは、そういうところかなと思います。
答五郎……ただ、荘重な雰囲気を出すためのレトリックというわけではないよ。御子キリストに係る修飾句のかたちで大事なことが告げられているだろう。ただ、ほんとうは少し難しい句でもある。日本語訳だからということもあるのだけれど。一つひとつ読んでごらん。
問次郎……「聖霊の交わりの中で……」
答五郎……はい。そこまで、「聖霊の交わり」とはなんだと思う?
問次郎 そういわれると……。全部がわからなくなりますよ。「交わり」にしたって。
答五郎……それに、日本語にすると「聖霊の」の「の」というのがどういう意味をもつかもよく考えなくてはならないはずだよ。
問次郎……原文ではなんと言うのですか。ラテン語なのですよね。
答五郎……実は「交わり」と訳されている語は、ウニタスつまり「一致」という意味の言葉だ。
問次郎……そうすると「聖霊の一致の中で」とも訳されるのですか。それでも「聖霊の」という意味がわかりませんね。
答五郎……日本語で「~の」と訳されるところの意味合いは、語句ごとに違うので、文や句全体の中から判断しなくはならないことが多い。この御子に係る句全体のポイントは、御子キリストがあなた、つまり父である神と「ともに生き、支配している」ということにあるのはわかるだろう。
問次郎……うーん。なんとなく。
答五郎……御子キリストが御父と同じく神であり、生きている方であり、支配している方であるということ。つまり、すべての「主」であることを宣言する表現だといえる。
問次郎……ははぁ。いわゆる三位一体のことがいわれているのですね。
答五郎……そうだね。その三位一体のことが考えられているとしたら、次に必要なのはなんだろう。
美沙……そこで、「聖霊の……」ということが重要になるのですね。
答五郎……そう、父と子は聖霊によって結ばれ、一致しているという考え方が根底にあって、そのことを短い句で表現しているものだと思うよ。そこに聖霊も一つになっているという考えがね。まさしく、三位一体の神観が示されている。
美沙……「聖霊の交わりの中で」を先に聞いて、語句だけから理解しようとしても難しいけれど、あとの御父と御子がともに生き、働いているという点は、わかるような気にもなります。
答五郎……多くの信者さんたちも、全体を聞きながら、充分に意味を感じ取っているのだと思うよ。式の次 第や式文の一つひとつについてあまり問いかけていなくてもね。「聖霊の交わりの中で……」と いう今の日本語の表現からでも御父と御子が聖霊によって結ばれ、一つになっているという意味 が感じられるのではないかな。
問次郎……でも、どうして、集会祈願だけ、このような長い結びの句を使うのでしょうかね。
答五郎……集会祈願は、最初の祈願だし、また、その日のミサの趣旨にも触れるものだからだろう。でも、他の祈願で短い結びの句「わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。」を使うときにも、集会祈願の結びの句の意味はいつも含まれていると思うよ。
美沙……キリスト教の神のことが、しっかりと宣言されるので、荘重な感じがするのですね。
答五郎……それほどに大事な祈りなのだけれども、開祭の終わりの合図のようにしか思わないときもあるのだけれどね。(自戒をこめて)さて、ここまでミサの開祭の一つひとつについて吟味してきたけれど、どうだったかな。
美沙……式次第や式文は、一つひとつに心をとめてみるとそれぞれに深い意味があるのだと思いました。
答五郎……次からは、いわゆる「ことばの典礼」、聖書を中心とした部分に入ろうと思っている。ここでは式次第的展開というよりも、読まれる聖書や歌われる詩編などの内容あるものがメインなので、これまでとは進め方を変えていく必要もあるかなと思っているよ。
問次郎……聖書が好きな友達を連れてくるかもしれませんので、よろしくお願いします。
(つづく)
(企画・構成 石井祥裕/典礼神学者)