復活祭のもともとの名は「パスカ」。古代教会のギリシア語、ラテン語でそう呼ばれ、その後、フランス語のパックをはじめ大部分のヨーロッパ諸国語もこの系統の名で呼んでいます。そのもとにあるのは、旧約時代(そして後のユダヤ教)の過越祭(すぎこしさい=ヘブライ語ペサハ)。復活祭は、この過越祭を前提として生まれたキリスト教の「過越祭」にほかなりません。
それもイエスの受難の当時、ユダヤ人たちが過越祭を祝うころ、最後の晩餐を行ったのちイエスが十字架上で命をささげていったという記憶が弟子たち、信者たちの心に残っていたからです。主の死と復活を祝う祭りがそのままパスカ(過越祭)と呼ばれていきます。旧約の過越祭は、古代エジプトでの隷属状態から主である神によって解放され、古代イスラエルの民が神の民として形成された、その原点を記念する祭り。それに対して新約の過越祭である復活祭は、キリストの死と復活により、人類が罪への隷属状態から解放され、新しい神の民が形成されたことの原点を祝う祭りとなって定着します。キリストの死から復活への移り行きが「主の過越」と考えられるようになり、これをじっくりと記念する「主の過越の聖なる三日間」(聖木曜日から復活の主日まで)が教会の一年でもっとも重要な祝祭期間となっていきます。
実はこのような由来事情があることによって複雑なことに、復活祭の日取りは毎年異なります。旧約そしてユダヤ教の過越祭は、太陰暦を根底にもつヘブライ暦(ユダヤ暦)に従って、春の月の(つまり春分の日の後の)満月の日です。キリスト教の過越祭もこの定め方を引き継ぎつつ、さらにその満月の日の次の日曜日に祝います。日曜日は主日、すなわち毎週の「復活祭」だからです。こうして、太陰暦が隠され、かつ日曜日という規定のために一般の太陽暦の月日としては春分の後の1か月余りという大きな触れ幅(3月22日から4月25日まで)で復活祭の日は毎年変わります。ちなみに2017年の復活祭は4月16日、2018年は4月1日です。
この結果、復活祭は教会外の人にはなんともわかりにくい“地味な”祭りになっているかもしれません。それでも、この日取りの決め方を知ると、なんという“味のある”祭りなのだろうと思えてきます。春分(北半球)基準という太陽の動きと月の満ち欠けという壮大な天体のリズムが交わるところ、まさに太陽と月が抱き合うかたちで営まれる祭りだからです。キリストの復活は人類の歴史を変えただけではなく、宇宙の歴史さえも変える出来事です。聖週間(=復活祭前の一週間)に必ずやって来る満月、晴れていれば、闇夜に煌々と輝く、その眺めは格別です。死と復活にこめられた神の愛の充満を感じながら、復活の主日を迎えるのです。
ちなみに、復活祭は英語ではイースター、ドイツ語ではオースタァンといいます。これは、一般には古代ゲルマンの春の女神、曙の女神の名(エーオストレまたはオーストラ)から来るという説が有名です。ただ「東」(英語でイースト、ドイツ語でオスト)に通じる「日が上る」の古語に由来するという説、近年では、洗礼の水を「注ぐこと」を表す古英語に由来するなど語源には諸説あり、結局は不明のようですが、それぞれに復活祭の側面に触れる点は興味深いものです。
(石井祥裕/典礼神学者)