エゼキエルさんの足下には死体が埋まっている


復活祭のシーズンを迎えました。世間では、2015年の秋アニメでも注目を集めた人気小説『櫻子さんの足下には死体が埋まっている』(太田紫織著・角川書店刊) のテレビドラマ化が話題になっているそうです。この話というのは、骨を愛する標本士、主人公・九条櫻子が高校生で助手役の館脇正太郎とともに殺人事件や人物たちの心の問題を次々と解決していくミステリーです。推理と謎解きが実に爽快です。アニメ版ではCGによる美しい描写が大変注目され、私は魅了されました。櫻子さんの動物の骨に対する異常な愛情と知識の叙述は本格的なミステリーにより深みを与えており、組み上げられた白骨標本は「生き生き」としています。ドラマ版では櫻子さんのマッドな性格がどれだけ再現されていくのか楽しみです。

そんな櫻子さんが喜ぶかどうかわからない場面が、旧約聖書にはあります。このコラムではその記事から復活について考えてみたいと思います。

エゼキエル書37章の『枯れた骨の復活』です。エゼキエルという人はバビロン捕囚でイスラエルから連行された祭司なのですが、ある日神からの啓示を受けて預言者になった人です。中でも黙示録のような幻を見ることで有名です。

そのエゼキエルが、ある日不思議な幻を見ます。まずある谷に連れて来られます。そこはたくさんの人骨でいっぱいでした。さて、神の命令の通りにエゼキエルが預言を発すると、その朽ち果てた骨がカタカタと音を立てて組み上がって、そのうちに肉がついて皮膚が覆います。さらに四方に吹き渡る風が彼らに入って立ち上がって大きな群衆になります。すさまじい描写です。

神によれば、彼らは「イスラエルの全家」であり、「われわれの骨は枯れた。われわれの望みは失せ、われわれは滅びる」と言っています。それに対して、神はエゼキエルに「わが民よ、わたしはお前たちを墓から引き上げ、イスラエルの地へ連れて行く」と言うよう指示します。死んで終わりでは決してない、絶望の思いに対する神からの答え、と言えるでしょうか。

「鹿の頭蓋骨」2015年5月、奥多摩山域・石尾根登山道の千本ツツジ付近(標高約1700m)にて。 撮影:佐治多利康

祖国は滅亡、民族も離散。夢も希望もない。絶望しかない。しかしそれでは終わらず、「新しい心」「新しい霊」が与えられるというのです。この幻を通してイスラエルの復興が示され、そのイスラエルの民は神の霊を注がれた民となる、というわけです。イスラエルの民全体の復活です。個人の復活や本格的な復活思想の発展はさらに後の時代に起こり、それが新約聖書に流れ込んでいきます。

ところで、この預言は新約聖書で地味に「実現」しています。マタイ福音書27章52~53節です。十字架で磔になったイエスが死ぬと天変地異が起こりますが、その時「イスラエルの聖なる者たち」が復活して聖徒に押し寄せて入ってくる、というのです。イエスの復活パワーが大いに力を及ぼしている、というところでしょうか。いずれにしても、櫻子さんなら「せっかくの骨がもったいない」とか言いそうな場面です。

(石原良明/AMOR編集部・サブカルマニア・聖書読み)


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