雨のち晴れではじまった「遠藤周作文学館」


鵜飼清

ある人の面影を偲びたくて、また訪ねたい場所がある。

それは長崎県の外海町にある遠藤周作文学館なのだが、ある人とは遠藤周作その人ではない。

2000年5月13日に、遠藤周作文学館がオープンした。そのセレモニーに私も出席している。セレモニーがはじまる前にザーッと大雨が降って来て、入り口の前で受付けを待っていた大勢の参列者が、あわてて屋根のあるところへと集まっていった。受付が用意されたら雨はやみ、晴れ間がのぞいてきたように思う。参列者のなかからの「遠藤先生らしいわね」という声が耳に入ったのを覚えている。

聖堂のようなエントランスホールで式典が行われた。ホールは参加者であふれていて、私はホールには入れず、ホールの外で式典を覗いていた。開式の辞や式辞などの声はよく聞き取れなかった。

私がなぜ、遠藤周作文学館の落成式に行ったのか。それは私の岳父・上総英郎が遠藤周作の評論を書いていたからである。私が遠藤周作の小説を意識したのは上総英郎によって書かれた評論からであった。

上総英郎は『沈黙』の評論を「共感と挫折―『沈黙』について」として発表したが、それが遠藤周作の目に留まり、2人の交流がはじまった。以来、上総は遠藤文学の評論家として注目される。

落成式のとき、上総は車椅子の人であった。遠藤周作亡き後、『沈黙』の舞台となった場所に文学館が出来、そのオープニングに参列した上総の思いをいま改めて感じている。

遠藤周作は1996年9月29日に73歳で亡くなった。そのあとで『遠藤周作のすべて』(文藝春秋編)が出された。そこに上総は「遠藤周作の小説について―カトリックとしての活躍」を書いている。その冒頭は「遠藤周作がこの世を去ってから、一年余が過ぎた。いまだに『さよなら』と呟くことができそうもない。それは彼の最後の作品群について、まだ語ることができないことで、自分の目に歴然としているのだが、私の中では、彼の作品群の流れについて、いまなお見落としたことどもがあるような気がしているのだ。」と記されている。

上総英郎も2001年7月21日に70歳で旅立ったが、最後まで遠藤作品について追究の姿勢を崩さなかった。

遠藤周作文学館のテラスから眺める五島灘はことのほか美しい。その美しさと遠藤文学を想像するとき、車椅子で首を傾げていた上総が瞼に焼き付いて残る。あの人と、また会いたい……と思う。

(評論家)


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

4 × four =