沈黙の風景 4


服部 剛



 

朝、民宿の布団の中で目を覚ますと、枕元に置いた携帯電話の画面が着信を知らせていた。折り返すと、五島列島出身の友人からであった。「おはよう。今日で五島にいるのは最終日なんだけど、朝飯を済ませたら、巡礼の最後に頭ヶ島(かつらがしま)天主堂に行こうと思って」「あら、そう!その天主堂は、以前、『周作クラブ』(遠藤文学愛読者の会)の旅で五島に行ったとき、遠藤先生の奥様が〈ここが一番素晴らしいわ〉と言った場所よ。巡礼の最後がその場所なんて、最初から考えていたの?」 「いや、そういう訳じゃないけど……」 ――電話を終えた私は、胸中が静かに高鳴るのを感じた。

有川港の近くにある民宿を後にして、車で30~40分走ると、上五島と頭ヶ島を結ぶ橋に入ったので、アクセルを踏み、加速した。年の瀬になろうという時期ゆえに、少し窓を開けただけでも冷たい風が、びゅうと吹き込む。橋を渡り終えると、今度は曲がりくねった道が続いた後、灰色の空の下に広がる海と、無人の白い砂浜が見えてきた。

駐車場に車を停めて外に出ると、少し高い場所にある石造りの天主堂が、時化(し

頭ヶ島天主堂

け)に荒れる海を黙って眺めるように建っていた。〈五島での巡礼も、ここで最後か〉という感慨を抱きながら、聖堂内に入る。祭壇の前で手を合わせようとしたとき、背後の入口で「どうしようか……」と困っている声が聴こえた。振り返ると、40代くらいの男女が、車椅子に乗った年老いた母親と思われる女性を連れていた。入口に大きな木箱が置かれているため入れず、顔を見合わせている。私は心の中で〈五島の巡礼の最後の場所で出逢ったのは何かのご縁かもしれないな〉と思い、入口の方へ近づいていった。「あの……実は、先月まで介護職だったので、お婆さんを一緒に抱えられますよ」と伝え、私は上半身を、息子さんには下半身を抱えてもらうと、祭壇の前にゆっくりと下ろした。年齢相応に物忘れもあるようだが、息子さんが運んできた車椅子に再び座ったお婆さんは、お祈りをするように、少しの間、祭壇の十字架に目を細めていた。

「どちらからですか?」「はい、鎌倉です」「え!  私も実家は鎌倉で、腰越小学校の出なんですよ」「えっ?  母も腰越に住んだことがあるんですよ」。いくら偶然とはいえ、五島の巡礼の最後の場所で、遥か遠い空の下の、同じ地元の方々と、頭ヶ島天主堂の祭壇の前で共に佇むことになろうとは……。このとき、私は〈目に見えない、沈黙の神〉の働きを、感じずにはいられなかった。私は自ずと笑顔になり、しゃがんで、お婆さんと目を合わせ、細く冷たい手を、少しの間、握った。壁に掛けられた額縁の中で、イエスは無力にも、十字架上で項垂(うなだ)れている。遠藤周作も度々、その作品の中で「無力なイエス像」を描いている。

今、私が目の前にしているお婆さんの長い人生の中にも、おそらく深い哀しみの夜があり、そのときも神は沈黙していたであろう。だが、額縁の中で力無く頭を垂れるイエスは、時に不思議なわざを現す……。私の胸中には、そんな思いが芽生えた。

もう一度、息子さんと私でお婆さんを抱え、入口に置いた車椅子にゆっくり乗せた。「ありがとうございました……」「いいえ、また旅の後、鎌倉で会いましょう」。そう言って手を振りつつ、車椅子を押して去ってゆく三人の後ろ姿を見送った。

誰もいなくなった聖堂の中で、旅の導きを感じながら祈った後、私はゆっくり腰を上げた。 天主堂を出て、古い鐘の傍らを通り過ぎ、石畳の道を下ると、浜辺から激しい波の音が響いてきた。白い浜辺が見えてくると、右手に無数の十字架が姿を現し、かつて、遠い日に切支丹として生涯を送った人々の魂が、懐かしくも哀しみを帯びた灰色の海を、いつまでも眺めていた。


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