フランシスコ・ザビエル 野田哲也
私がモヘルという患者に出会ったのは1995年の3月、3度目のインド、マザー・テレサのプレムダンという施設での事です。その頃の私の仕事は主に重症患者の治療やその他のケアをする事でした。それはまさに生と死をまざまざと見続けていくような毎日でした。
ある朝の事でした。シスターからモヘルという患者の面倒をみるように言われたのは。彼は前日の午後に国の病院から運び込まれたということでした。彼の体は胸から下の感覚がまったく無く、背中から腰まで腐っており、背骨も見えていました。両腰とすでに変色している足には8cmぐらいの穴が六ヵ所ほどあり、その穴からはおもむろに筋肉が見える状態でした。彼はたぶん半身不随になり、なんの治療も受けられずにベッドに寝たままにされ、床擦れになり、その個所が腐っていったようでした。
インドでは貧しい家庭の患者、それも脊椎損傷などの大怪我の患者の場合、病院では治療されることがないのです。モヘルがどのようにここまでその激しい苦渋に耐え忍んで来たかを思うと、私の胸は激しく痛まずにはいられませんでした。そのあまりにもひどい状態に確かに戸惑いましたが目をそらさずにしっかりと彼を見詰めるように心掛けました。
私に出来ることは限られています。医者でもなければ看護師でもありません。しかし大切なことは心を尽くし心を通わすことであり、少しでも死への恐怖を和らげること、笑顔でいることでした。体にしみつくような悪臭に集まるハエの中、彼の体を洗いました。ただ彼が痛みを感じない分、私は少し救われました。
しかし彼は痛みを感じない分、私が背中などを洗っていて、私が見えない場所に立つと不安がるので絶えず明るく声を掛けながら洗ったものでした。たまに布の端がむき出しになった背骨に引っかかる度、私の背筋がぞっとしたことが今でも忘れられません。しかし私は微笑むことに支えられていました。そして彼の治療です。治療といっても、もうすでに治すもののためではなく、消毒をし、うみを削るように取り、薬をぬり、包帯を巻くような事でした。
モヘルはハエをとても嫌がっていました。シスターからもモヘルのことを頼まれた時、ハエが彼の周りから居なくなるようにしてほしいとだけ言われました。まずハエがいなくなる事を第一に体をきれいにしました。「ハエはもういなくなったよ、きれいになったよ」と言いながら彼の髪をなでてあげると素敵な笑顔で「ありがとう ブラザー」と言い、私の手を握りしめました。彼のケアだけで1日が終わるのです。他に何もすることが出来ませんでした。(カトリック調布教会報「SHALOM」2015年6月号より転載)