沈黙の風景 2


切支丹巡礼の旅も3日目となった。この日は12月24日で、クリスマスイブである。聖夜を上五島の教会で過ごすためミサに与(あず)かろうと思い、夕方に長崎港から出る高速船に乗り、上五島へ向かった。12月は時化(しけ)で海が荒れる、と噂では聞いていたが、予想していた以上に船は海上を弾むように進み、一瞬、船が宙に浮くのを感じた。いつしか時化も凪へと変わり――1時間ほど眠った私が目を覚ますと、点在する明かりが遠くに見え、鯛ノ浦港が近づいてきた。

私の脳裏には再び、前日に訪れた〈祈りの岩〉の光景が浮かんだ。まるで円盤のような巨大な岩は他に見たことがなかったし、何よりも、切支丹迫害下の緊迫する時代状況の中で、命を賭けてまで代々語り継いだ信仰というものに、私は改めて想いを馳せた。

翌日、朝食の時に民宿の女将(おかみ)さんが教えてくれた、いくつかの教会から巡礼を始めた。車で15分程走ると、遠い山間に白い教会らしきものが見えてきた。車を停めて、坂を上りきって見下ろすと、美しく緑OLYMPUS DIGITAL CAMERAがかった海を小さい湾が囲み、ゆっくりと漁船が出てゆく。絵のように長閑(のどか)な風景を目にして私は、思わず立ち止まった。そして、旅の前に上五島出身の友が、切支丹の子孫が今も住むという地域の教会を教えてくれたが、桐教会はその中の大事な一つであることを、ふいに思い出し…上五島で最初に訪れる教会が桐教会だということに、旅の導きを感じた。教会の正面入口に立ち、左を見ると切支丹の像があり、3人の中の1人は老人で正座をしている。その目線は遥かなる光を見出し、静かな深い希望をたたえているのが、像の前に立つ私にも伝わってきた。

聖夜のミサは所属信徒の多い青方教会へ行き、中に入ると、幼子からお年寄りまで年齢幅のある信徒達で席は埋め尽くされ、自分が日頃行く教会との違いを感じた。

ミサの後は車で民宿に戻り、前夜に続き、『沈黙』の頁を開く。描かれた場面の中で、司祭のロドリゴを裏切ったキチOLYMPUS DIGITAL CAMERAジローが、薄汚れた姿で細い手を振り、連れ去られるロドリゴを何処までも追いかける。『沈黙』という物語で、ロドリゴの姿が受難のイエスの姿に重なってゆく――。もし、ロドリゴの内にイエスのまなざしが一瞬でも宿るならば、痩せた野良犬が何かを乞うように、自分に向かって叫ぶキチジローの姿は、一体どのように映るであろうか?人を容易(たやす)く許すことのできない私達人間の胸の奥底に、体の無い神は隠れ〈何かを囁いているのではないか…〉と、私は感じた。


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