福音書の冒頭を読み比べる


4つの福音書を読み比べるといろいろとおもしろいことにきづく。特に冒頭の1章1節がどのように書か

マルコはキリストの王としての威厳を伝えることから、翼を持ったライオンの姿である。荒れ野で修行するヨハネのイメージでもあろう。

マルコはキリストの王としての威厳を伝えることから、翼を持ったライオンの姿である。荒れ野で修行するヨハネのイメージでもあろう。

マタイはキリストの系図をたどり人間性を強調することから、翼を持った人(天使)がシンボルである。

マタイはキリストの系図をたどり人間性を強調することから、翼を持った人(天使)がシンボルである。

れているかを読み比べると、福音記者の性格や書いた意図などが想像できる。

最初のマルコ福音書は「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」と簡潔、もったい付けも飾りもな

い。そして洗礼者ヨハネの紹介からイエスの洗礼に入る。つまりイエス降誕の話はない。

マタイはこれに対してイエスの系図から入る。イエスがダビデの末裔であることが強調されている。つまり旧約で預言されているメシアであることを証明しようとしている。これは旧約の知識を前提としているユダヤ人を対象に書かれているものと思われる。

ルカはテオフィロさまへの挨拶からはじめている。つまり旧約の知識のない外国人を対象として書かれていることがわかる。そしてザカリアの紹介、マリアへの受胎告知につづく。

ルカはキリストの犠牲を強調するため、古代のいけにえの獣になぞらえて翼を持った雄牛のすがたである。

ルカはキリストの犠牲を強調するため、古代のいけにえの獣になぞらえて翼を持った雄牛のすがたである。

ヨハネは、天の神秘を誰よりも深く見通し、神の言葉で豊かな霊感で記述したことからわしの姿で描かれる。

ヨハネは、天の神秘を誰よりも深く見通し、神の言葉で豊かな霊感で記述したことからわしの姿で描かれる。

そしてヨハネは有名な「はじめに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」という言葉で始まる。抽象的で神学的(哲学的?)な始まりである。私が想像するにこれはあきらかにギリシャ哲学を意識している。イエスの教えがギリシャの哲学に匹敵するだけの内容を持っていることを証明しようとしたように私には思える。

4つの福音記者にはシンボルがある。エゼキエル書1章10節に出てくる四つの有翼の生き物(人間、獅子、牛、鷲)とそれも踏まえた黙示録4章7節に出てくる同様の生き物(7節によると獅子、雄牛、人間、鷲)がやがて教父たちにより、四福音記者のシンボルとして解説されるようになる。

 


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