ミサはキリスト!?
答五郎……おお、久しぶりだな。一か月ぐらいかな。そちらは?
問次郎……妹も連れてきたんです。
美沙……初めまして。初田美沙と申します。キリスト教のことはなにもかも初めてです。よろしくお願いします。
答五郎……これは、これは、こちらこそ、よろしく。さては、問次郎さんが前回ミサという名にこだわったのは妹さんの名前と同じだからだったのかな。(微笑)
問次郎……そういうわけではないんですが。(照れ笑い)ともかく、日本語になじみやすい「ミサ」という名がラテン語だということ、そこで、ミサという教会の礼拝行為がラテン語で行われているかと思いきや、今は日本語で行われているということ、ただ、そうなったのもたった半世紀前からだと聞いて、頭の中が二転三転、びっくりしました。
答五郎……半世紀前というとだいぶ前のようだが、教会の2000年の歴史からみればついこの前のことだからな。実はこの自分も、40年前ほどに洗礼を受けた人間なので、ラテン語でミサが行われていたときは知らないのだよ。ミサがラテン語か各国語かということは、ローマ・カトリック教会の歴史でいえば、いろんな側面や裏表を含んでいる、問題といえば問題なんだ。大きな、難しい、でも同時に面白い問題ともいえるんだよ。
問次郎……興味深いですが、なんか大きな話になりそうなので、もう少しキリスト教の歴史を勉強してからお聞きすることにします。
答五郎……そうだった、今回からは、ミサの進行、式次第に沿って一つひとつ調べていくことになっていたな。
問次郎……はい。実は、そのために、わたしたち、妹もなんですが、江戸、麹町にある教会のミサに実際に足を運んでみました。見学したいといったら、どうぞと許していただいたのです。1カ月の間に4度も行ってみたんですよ。
答五郎……それは、意欲的でよいことだ。水に飛び込んでから泳ぎを習おうという、あれだな。美沙さんは
どうだった?
美沙……はい。……いろいろとわからないながらも、雰囲気には心に感じるものがありました。
答五郎……それは大事だな。日本語で行われているから、まずはわかりやすかっただろう。
美沙……それは、……どうでしょうか? 日本語なので耳に留めることはできますが、考え出すとはたして何の意味なのか、キリスト教初心者ですから、疑問がたくさん湧いてきます。ふつうの感覚からいうと、教会独特の言葉が多いと感じました。それに「アーメン」とか「ホザンナ」とか日本語でない言葉もありましたし……。
答五郎……これは、これは、なかなか冷静な妹さんだ。手ごわそうだな(苦笑)。でも、兄妹そろって探求者向きだと思うよ。ぜひ、その意欲と観察力をもってミサのことをしっかりと見つめてほしいものだ。二人のような人に問いかけられて、その上で意味あるものとして確かめられるなら、ミサも本望だと思うよ。
問次郎……答五郎さん、「ミサの本望」なんて、一種のたとえですよねぇ。擬人化表現というか……?
答五郎……これは細かいな。そうでもないよ。究極的には、キリスト教のというか、キリストのほんとうの望みなのではないかなと、ふと思ってそう言ってみたまでだ。
問次郎……ふーん。でも、ミサはキリスト自身と言われるのなら、それはそれで深いことが語られているような気がします。とても興味が湧いてきます。なあ(と美沙を見る)。
美沙………(心の中を覗き込むように静かに考えている)
答五郎……そうとも言えるし、そう考えると深い……と、実は、今自分も思い始めているところだ。
これが対話の醍醐味かもしれないな。ともかく一緒に考えていこう。
では、ミサ見学のときの話だ、教会堂に入ってみてまずどうだった?
(つづく)