自死された方々の為にささげる追悼ミサ

鳥巣シオリ(ゆりの会 世話人)

「自死された方々の為にささげる追悼ミサ」は2011年、日本26聖人殉教者記念聖堂聖フィリッポ教会で行われたのが初めてで、今年7回目の追悼ミサとなりました。毎年11月の死者の月に合わせて行っております。

今年行われた追悼ミサのお知らせ

ゆりの会(~たいせつな人を自死で亡くされた方のつどい~)の発足に当たり髙見三明大司教様より≪カトリック教会は、長い間、「熟慮のうえで自殺した者」に対して、教会による埋葬を許さないなど、厳しい態度を示してきました。しかし、この旧教会法典(1917年)の規定は、新教会法典(1983年)にはありません。また『カトリック教会のカテキズム』(1997年)では①自殺はいのちと愛に反する行為であるが、②事情によってはその責めが軽減され得る、③教会は神の救いに希望を置いて自殺者ためにも祈る、とあります。日本の司教団は、『いのちへのまなざし』(2001年)の中で、「これからは、神のあわれみとそのゆるしを必要としている故人と、慰めと励ましを必要としている遺族のために、心を込めて葬儀ミサや祈りを行うよう、教会共同体全体に呼びかけて行きたいと思います」と述べています≫というメッセージをいただきました。この髙見大司教様のメッセージにあるとおり、教会は長い間自死された方々を厳しく裁き排除してきました、このことに、遺族の方々は非常に心を痛め、囚われていることに私自身心が痛み、教会共同体として、「神の憐みとそのゆるしを必要としている故人と、慰めと励ましを必要としている遺族のために」願いを込め、心を込めて毎年追悼ミサをお捧げしています。

御ミサの後、お茶の席を設けていますがそのお茶の席で、「旧教会法の規定に縛られ、長い間そのことに囚われて苦しんできましたが、今日の追悼ミサでやっと解放されました」という分かち合いに、この追悼ミサのもう一つの意義、使命のようなものを感じています。

今年は、昨年長崎の追悼ミサにあずかられた方が「福岡ではこのようなごミサはないのでしょうか」といわれたことに応えたいと、福岡市で追悼ミサを行いました。福岡市での追悼ミサに参加して、福岡の遺族の方々も長崎の遺族の方々と同じように悲しい辛い想いの中で日々を送っていらっしゃることに心が痛み、この追悼ミサが一定の地域に限られず各地域に拡がり多くの自死された方々、そしてご遺族の方々に神様からの慰めと癒しがあることを願うばかりです。

2015年、2016年、と髙見大司教様に司式をして頂いたのですが、今年は残念ながら他の用事が入ってしまい、大司教様司式の追悼ミサではありませんでしたが、代理として長崎駅の近くの白い館の教会として有名な中町教会の主任司祭橋本勲神父様の司式でお捧げすることができました。ある神父様から「場所を固定しないで、各小教区でやるとご遺族の方々が足をはこびやすいのでは」という提案を受けて今年、中町教会で行ったことを機に来年からは他の小教区でも行っていきたいと思っています。

2016年度中の自死者は2万1897人でした。自死者が3万人とピーク時はよくニュースで取り上げられていましたが最近はあまり取り上げられなくなり、関心が薄くなったように感じます。減少傾向にあるとはいえ2万という数字はまだまだ高い数字です。この2万という数字の意味するものは何かを深く読み取り、これからも「自死された方々のためにささげる追悼ミサ」をお捧げして参りたいと思っています。

 


新しいメディア・ミニストリー——ネット民のうつ病と自殺願望に対して

2017年10月31日に報道された座間市で9人の遺体が発見された事件は、全国を震撼させた。被害者はいずれも犯人とSNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)のツイッターを通して繋がったことが明らかとなっている。9人の大半はツイッター上に「死にたい」「いっしょに死んでくれる人を探している」などと、自死願望をほのめかす投稿をしていたと報道されている。

各種SNS運営会社は従来からさまざまな対策を立てて来てはいるが、このような書き込みはこの事件後も後を絶たない。本来相談するべき相手ではなくネットの世界に本音を吐露する若者たちの姿勢には、実際の社会や大人たちが信頼を失ってしまった感すら覚える。今回の事件は、それが悪意ある人間と繋がってしまったことによる悲劇だ。

シグニス・アジアは従来からメディア教育やインターネットリテラシーに精力的に取り組んでいる。日本の自死件数や割合は、他のアジア各国とは桁違いに深刻だが、シグニスは現代の問題意識を共有している。折りしも、シグシス・フィリピンのメンバーより、今回の特集にふさわしい記事をシェアしていただくことができた。ここに翻訳して公開することで、若者が抱える闇と、教会のSNSに対する見方を合わせて考え、さらなる問題点の追求と解決に向かう契機としたい。(編集部)

 

 

新しいメディア・ミニストリー
ネット民のうつ病と自殺願望に対して

ペリー・ポール・G・ラメニラオ

2017年11月、ダバオ出身の19歳の学生が自室で首を吊った状態で発見された。人間関係や家族の問題など、挫折を書き綴ったノートを残していた。死の2日前、自身のツイッターに自殺願望などの書き込みを何度か投稿していた。

うつ病と自死の試みについての彼の投稿は、若い人々のうつ病と自死が深刻な問題となったことを示している。

10代のうつ病の割合が伸びていることが調査で明らかとなっているが、恥ずかしさや人に助けを求めることへの恐れが、医学的なサポートを受けることへの妨げとなっている。

世界的な規模で、自死は深刻な社会問題となってきた。

WHO・世界保健機関の最新の発表によれば、1年間に約80万人の人々が自死によって命を落とし、15歳から29歳までの若者の死因の第2位となっている。

フィリピンでは、2012年の報告が明らかにしたところによると日々7人が自死している。2時間半から3時間に1人が自死するという恐ろしい数字だ。フィリピン総合病院の中毒管理センター(NPMCC)は2012年の自死者を推定2,558名と報告している。

同年、世界保健機関の報告により、フィリピンにおけるうつ病の発生率がASEAN諸国では最高であることが示された。その数、推計で450万人である。また世界保健機関の調査は、その前年の13歳から15歳までの生徒の16パーセントが「真剣に」自死について考え、13パーセントが実際に自死を企てたとしている。

 

抑圧される若者

フィリピン中毒管理センター(NPMCC)の同じ報告によると、2010年以降の統計で全自死者の46パーセントが若者だった。30パーセントは20歳から35歳だが、16パーセントは10歳から19歳で占められることになる。

2016年、フィリピン大学の学生トリスタン・ユビエンコはマニラの学生のうつ病についての調査を行った。複数の大学などから16歳から24歳までの生徒や学生135人について調査したところ、96パーセントの参加者がいずれかの強度の抑うつを学校で感じた経験があると答えたという。さらにこの調査は、勉強や研究が抑圧された感情をもたらす最大の原因であることを明らかにした。なおその他の要因として、これに家庭の問題と人間関係が続く。

ユビエンコの研究はまた、抑うつを感じた生徒学生の50パーセントは友人や家族に理解されていないと感じていることを明らかにした。この、最も抑うつを感じる学生たちが身近な人から共感をまったく得られていないと感じている、というのは重要な調査結果だ。共感が得られないことが、うつ病をいっそう悪化させる。この調査によって、専門家は彼らに対してより効果的に対応していけるようになるだろう。

 

教会のメッセージ

教皇ベネディクト16世は第47回世界広報の日に寄せて、デジタル・ソーシャル・ネットワークの発展が「人々が自分の考えや情報、意見を分かち合い、そして共同体の新しい関係性や形態が生まれ出る開かれた公な広場を創造する」ことの役に立っていると述べた。インターネットは、管理されていない空間ではあるが、「真のコミュニケーション、つながりが友情へと熟し、結びつきが一致を促す」。フェイスブックやツイッターのようなソーシャルメディアは、指一本で思想や考えや情報をシェアするだけの開かれた空間にとどまらず、究極的に自分自身をむき出しにする機会でもある。

「ソーシャル・ネットワークは人間の相互作用の結果だが、ネットワーク自体も、関係性を作るコミュニケーションのダイナミックさを作り直す。したがって、いろいろ考えた上でこの環境をしっかりと理解することが、そこでの存在感のためにまず欠かせない」とベネディクト16世は付け加える。

言語学者、心理学者や科学者によれば、わたしたちがソーシャルメディアでシェアするものが精神の健康状態のシグナルとなるという。フォーラーとクリスタキスによる有名な研究「影響の三段階」”Three Degrees of Influence”は、ソーシャルメディアが、行動に影響する感情や潜在的なシグナルを3段階で伝達することを明らかにした(第1段階:友達、第2段階:友達の友達、第3段階:友達の友達の友達)。わたしたちがソーシャルメディアを通して言ったりやったりすることは大なり小なりさざなみを立てるのである。
個人にとって、ソーシャルメディアは自死願望や行為、意思を吐露する場になってしまった。自死願望は、往々にして、逃れがたく耐えがたい痛みを伴い、終わらない問題の解決に対して無力感を感じるときに湧き起こる。

しかし自死願望をシェアすることは孤立感を和らげることもあり、ソーシャルメディアのような開かれた場で取り上げるならば、むしろ援助が差し伸べられる。フェイスブックやツイッターに自死願望が投稿されることは介入を必要とするという危険信号だ。

2016年、フェイスブックは自死願望やその実行について投稿する友達を救助するための重要なツールをアップデートした。フェイスブックは報告機能も含めた総合的なツールを用意した最初のソーシャルメディアである。

 

新しいメディアミニストリー

ソーシャルメディアは、新しいメディア・ミニストリーの場である。グローバルウェブインデックスが16歳から64歳までのインターネットユーザーに対して2016年下半期に調査したところによれば、パソコンかタブレットでインターネットを利用していた時間は1日平均9時間。普通の人の睡眠時間を優に超えている。しかも、スマートフォン端末によるインターネット利用はさらに1日平均3時間36分に及ぶ。

このデータは、ソーシャルメディアがミニストリー(奉仕職)において役に立つものにできるものであることに気付かせる。ソーシャルメディアは、すべての人に声を与える。すべての人にとって、そこは家族や友人、関係者とつながることのできる巨大な空間である。
ソーシャルメディアをフルに使って世界中の人々とつながったり関わっている間に、彼らは他者との経験をオンラインでの経験として形成する。

ヨハネ・パウロ2世によれば、インターネットは新しい「フォーラム」である。そこでは宗教的義務が果たされ、都市の社会的生活の大半が行われ、そして人間の最高もしくは最低な本性が映し出される場である。と同時に、インターネットは人間性が豊かな場所でもある。「ケーブルのではなく、人間のネットワークでもあるのだ」。しかし悲しいことには、深い思想を生み出す刺激や、理解、実際のつながり、他者との真の出会いは欠落したままなのだ。

ソーシャルメディアは、いまや世界中で人々の生活の大きな一部になっている。若い人々にとっては特にそうだ。その彼らこそ、実際の世界で愛と共感、やさしさを必要としている、まさに同じ人々なのである。

 

著者:ペリー・ポール・G・ラメニラオ
フィリピン共和国・大統領府和平プロセス担当大統領顧問事務局広報官。
カルメル会フィリピン管区メディア宣教部ティトゥス・ブランズマ・メディアセンター(TMBC)メンバー、SIGNIS Asia ジャーナリズムデスクメンバー。

訳者:石原良明(webマガジンAMOR編集部)

(原題:A ‘NEW MEDIA’ MINISTRY: Countering Depression and Suicidal Risk among Netiziens)

 


特集14 メメント・モリ(死を覚えよ)

11月――カトリックでは「死者の月」とする伝統があり、追悼行事や墓参が行われます。もちろん、11月1日の「諸聖人」(祭日)、11月2日の「死者の日」から始まる季節の感覚です。この慣習が生まれたヨーロッパでは日が格段と短くなり、冬の準備を始める季節。それは1年のサイクル、すなわち生活全体の更新期とも考えられ、死者の国との交わりの季節とも感じられていたようです。
そこで生まれた慣習の一つが10月末のハロウィンです(「オール・ハーロウズ・イヴ=諸聖人前夜祭」からその名が由来)。この日本ではまだ“新しい”風物詩との関連も探りながら、生者と死者の交わり、「生と死」というテーマについての思索を始めてみましょう。「メメント・モリ」(死を覚えよ)の心で……

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ハロウィンと諸聖人をめぐる謎

アメリカでのハロウィンの一日

いのちへのケアとキリスト教の核心

新しいメディア・ミニストリー——ネット民のうつ病と自殺願望に対して(2017年12月9日追加)

自死された方々の為にささげる追悼ミサ(2017年12月16日追加)

 

(写真提供:松橋輝子)


ハロウィンと諸聖人をめぐる謎

いったいハロウィンとは何なのか。キリスト教とは関係があるのかないのか。その起源を調べてみると、どうしても教会の祭日「諸聖人」との関係を見なくてはならない……。そう思って両方を調べていくとどちらも謎めいてくるのだ。少し長くなるが、それぞれの起源に関する情報を吟味してみよう。

 

1.ハロウィンの起源をめぐる謎

(1)一般的な起源論

一般的に信じられている概要という情報は、こんな次第である。ハロウィンは、古代ケルト人の祭りに起源がある。それはもともと「サーウィン祭(サムハイン)」と言う。ケルト人の暦では、新年は11月1日に始まり、その前日10月31日の夜は聖なる日とされていた。その日死者の霊がこの世とあの世の境界を自由に往来する。中には悪さをする霊魂が来ることもあり、それらをだますために魔女や骸骨などに扮装するのだ。簡単にいえばそのような宗教的起源をもつ。そして、この祭りがキリスト教の諸聖人の祝日とつながり、諸聖人前夜祭と位置づけられて広まり、現在に至るのだ……という。ハロウィンという今日の名前自体、オール・ハーロウズ・イブ(=諸聖人前夜祭)から来るのもそのような経緯を示している。しかし、ハロウィンという習俗を教会が受け入れていることは少ない。

ケルト人の祭りは、その後ブリテン諸島で伝承されていたが、17世紀以後は、イングランド南部で廃れたのに対して、スコットランド、アイルランドを中心に続けられていた。19世紀になるとアメリカ合衆国に移住したスコットランド人やアイルランド人を通じてハロウィンの慣習が持ち込まれ、最初は違和感をもたれていたようだが、20世紀には全米的に受け入れられ、コマーシャリズムとも連動し現在に至るという。1990年代からこの米国型ハロウィンがヨーロッパにも進出しているらしい。

 

(2)近代の民俗復興の産物らしい

ハロウィンとキリスト教の関連を強く論ずる説は、宗教民族学や民俗学でいわれているもの。11月から新年を数えるケルト人のいわば生命更新儀礼として死者にまつわる祭りがあり、この日を教会が諸聖人、ひいては死者の日の規準になったのだと見ている。

しかし、最近は、このようなハロウィンのケルト由来を疑わしいとする説が有力になりつつある。サーウィン祭=サムハイン自体、史料的に不確かだという。ケルト人の死者の祭りは、逆に、中世後期にすでに西方教会で一般化していた11月1日の諸聖人や11月2日の死者の日の影響を受けて生まれたとまでいうのである。アイルランドは、もっとも早くキリスト教が浸透した地域だからである。ハロウィンは、むしろ、近代のケルト文化ルネサンスの産物で、19世紀に取り上げられて結晶し、20世紀に普及したというのは、教会や家庭、地域での世俗的習俗としての展開ぶりから、この説は納得できるものがある。教会との疎遠感もわかる。

 

2.諸聖人の祭日の起源をめぐる謎

このように、ハロウィンの起源論に関してつねに参照される11月1日の諸聖人の祭日。実はこの祭日の起源論にもケルト起源説がたびたび浮かび上がる。ところで、「諸聖人」の祭日は、現在の日本のカトリック教会の名称。ラテン語では、Sollemnitas Omnium Sanctorum, 英語では、Sollemnity of All Saints, またはAll Saint ‘s Day、ドイツ語でもAllerheiligen と「すべての聖人の祭日」なので全聖人祭ともいえるので、そうしてみる。以下、ドイツや米国の主要なカトリック大事典から起源論情報を整理してみると:

 

(1)聖霊降臨の主日の次の主日

すべての聖人のことをまとめて祝うという慣行の最初の証言は、400年前後のヨアンネス・クリュソストモスという教父のもの。アンティオキアかコンスタンティノポリスで聖霊降臨の主日の次の主日が「全聖人の主日」と呼ばれていた。どの程度普及していたかは不詳だが、復活節の趣旨を引き継ぎ、キリストの復活に全聖人が参与しているという意味をよく示すものであることは確かで、ビザンティン典礼の教会では、現在もこの日を全聖人の主日として祝う。日本のハリストス正教会の用語では「衆聖人の主日」と呼ばれている。西方でもこの聖霊降臨の主日の次の主日を「諸聖人の日」として祝う慣行が伝わっていたことが5世紀から7世紀の史料に見える。

 

(2)5月13日というローマの記念伝統

しかし、ローマでは別な伝統が浮かび上がる。609年か610年に教皇ボニファティウス4世(在位年608~615)がビザンティン皇帝フォカス(在位年602~610)からパンテオン(万神殿)を譲り受け、教会堂に建て替えて「おとめマリアと全殉教者のための聖堂」として建設、5月13日に献堂された。以後、5月13日に全殉教者ひいては全聖人を記念したという。ただし、単なる献堂記念日だったという説もあるし、この日付の起源についても二つの説がある。ローマ古来のレムリアという5月9、11、13日に祝われる死者の悪霊を宥める祭祀に関連があるという説、他方、5月13日は以前からシリアで全殉教者を記念する日であり、それを踏まえてこの日がその聖堂の献堂日になったという説もある。ただこの聖堂との関係でローマには5月13日の記念日が伝統となっていったようだ。

 

(3)11月1日の全聖人祭は8~9世紀に成立

ヨーロッパの教会で11月1日という日が浮かび上がるのは8世紀末のこと。

一つにはアイルランドの司教・修道院長であったオエングス(生没年750頃~824頃)が書いたアイルランドやローマの諸聖人に関する『祝日考』という書物。7~8世紀のアイルランドでは、4月20日にヨーロッパの全聖人を祝っていたが、800年に近い頃から11月1日の全聖人祭が生まれたと報じている。

トリーアの黙示録写本。黙示録7章9-11節の挿絵。あらゆる民族から選ばれた人々によってたたえられる小羊。キリストと諸聖人の集いの原風景といえる。

同じ8世紀末にイングランドのヨークで作られた暦にも11月1日の全聖人祭の記録がある。これを有名なアルクイン(生没年730~804)が奨励し、友人のザルツブルクのアルノ(785年より司教、798年より大司教)も当地で11月1日に諸聖人祭を祝った。ヴィエンヌ司教アド(在職860頃~866)がルートヴィヒ1世敬虔王(生没年778~840、皇帝在位814~40) にこれをフランク王国(西ローマ帝国)全土に広めるように請願。これを受けてルートヴィヒ1世が835年の勅令で11月1日を全聖人の祝日とするよう全国に義務づけた。その後、ローマでも教皇グレゴリウス7世(在位年1073~85)がローマ伝来の記念日5月13日より11月1日を優先するように定め、以後、ヨーロッパで一般化した。こう見ると、アイルランド、イングランドの慣行が全ヨーロッパに流入し、やがてローマに逆輸入されていったという景色が見える。

なお、11月1日の全聖人祭の翌日11月2日は10世紀の終わりからベネディクト会クリュニー修道院でのすべての死者を追悼する日としての実践が始まり、やがて全ヨーロッパに浸透するようになる。

ちなみに教皇シクストゥス4世(在位年1471~1484)が全聖人の祭日に八日間の祝いを付加し、1955年まで続いていた。日本語の旧称「万聖節」という呼び名はこの八日間を含めてのものであったわけだ。

 

(4)なぜ11月1日になったかは闇の中

では、なぜ、ヨーロッパで11月1日が全聖人祭として定着したのだろうか。11月1日の祝いの起源はどこにあるのか。これについてはおおまかにケルト起源説とローマ起源の説の二つがある。

ケルト起源説は、ハロウィンの起源として論じられるケルト暦での新年への移行儀礼「サーウィン祭(サムハイン)」を前提として、この日にアイルランドの教会で全聖人祭が設定され、そこからイングランドを経て、大陸ヨーロッパへ伝わったのではないかという説。

それに対してローマ起源だったという説もある。きっかけとして言及されるのは教皇グレゴリウス3世(在位年731~741)が732年にローマの聖ペトロ大聖堂(現サン・ピエトロ大聖堂)に「すべての使徒、殉教者、信仰告白者、そして全世界のすべての義人と完徳の人々のため」の礼拝堂を献堂したという事実。献堂式の日が定かではないが、当時イングランドのヨーク司教エグベルト(在職732~766)がグレゴリウス3世から大司教の位を授けられるというやりとりがあり、彼がローマの上述の礼拝堂の献堂日を踏まえて11月1日の全聖人祭を移入したのではないかという説である。

 

3.謎が謎を呼ぶ、ハロウィンと諸聖人

こういうわけで、11月1日の諸聖人祭(全聖人祭)の起源が最終的にはどこにあるのかは不明というしかない。ケルト暦との関連性は自然なので、それを重要視すれば、現在11月全体を死者の月と考える慣習までそこに由来するのかと思ってしまうが、はたして? いずれにしても、アイルランドやイングランドからヨーロッパ全土に広まっていたという流れは当時のキリスト教のヨーロッパでの広がり具合から見て、肯定できるものがある。ただし、アイルランド土着の宗教を何とかキリスト教化しようとして発生したわけではどうやらないらしい。ハロウィンが土着宗教の要素をもっていたにしても、ハロウィンという名前が11月1日の諸聖人祭(全聖人祭)の存在を前提としているのであり、そのかぎりはやはり再構成的な祭礼行事ではないのかと考えられる。

一方、教会の諸聖人祭も今日ではいささかインパクトが弱い。特別なことが行われるわけではなく、ただミサの祈りや聖書朗読がそれをテーマにしているだけである。どうしてか、それは、ミサはいつも奉献文の中で、諸聖人やすべての死者のことを祈っているからである。ミサがいつでもキリストの復活祭(死と復活の神秘の祝い)であるように、これとの関係の中で諸聖人祭でもあり、すべての死者の追悼ミサでもある。

起源論としては、謎めいているハロウィンと諸聖人の関係だが、少なくとも諸聖人の記念はキリストの神秘でいつも息づいている。

(石井祥裕/典礼神学者)

 


アメリカでのハロウィンの一日

一昔前までは、アメリカの映画かテレビの中でしか見られなかったハロウィンが、最近では急に巷でブレーク。あの「お化けカボチャ」ジャック・オー・ランタンが“目を光らせ”、和菓子屋にも「ハロウィン」ののぼりが立つ始末。仮装行列が派手に行われ、保育園の年中行事にも10月がハロウィンの月。
でも、由来元のアメリカでは、どのように行われるものなのでしょうか。小学校低学年のころに米国在住経験のある方に、写真とともに思い出を語っていただきました。(編集部)

 

アメリカでのハロウィンの一日

松橋輝子(東京藝術大学大学院修士課程在学)

ジャック・オー・ランタン(日本で作ったものですが、サイズ、方法は、アメリカのときと同じです)

ハロウィンの季節になると、9月末ころからスーパーにはたくさんのハロウィンかぼちゃが並びます。農家などでは、ハロウィン・カボチャと一緒にあつあつのアップル・サイダーを売っており、これもまた、秋の到来を印象づけます。

そして各家庭で、ハロウィン・カボチャをくり抜き、ジャック・オー・ランタンを作ります。夜になると、中にろうそくを入れます。ハロウィン当日の衣装は、数週間前くらいから考え、魔女やドラキュラ、その他の思い思いのキャラクターの衣裳を、かつら、フェイスペイントなども含めて用意します。

ハロウィン当日は、学校に仮装して行きます。そして校庭で全校生徒による大規模なパレードを行います。先生方も仮装します。保護者ももちろん見に来ることができます(授業がはたして当日あったのかは、忘れてしまいました)。

魔女の衣裳の友達

放課後、小学生は仮装したまま、お菓子を入れるハロウィン柄のバケツなどをもって近所を回ります。近所の家に行っては、「トリック・オア・トリート(Trick or treat. 「お菓子をくれないと悪戯するよ」)と言ってお菓子をもらうのです。各家庭では、いつ子どもたちが来てもいいようにたくさんのお菓子を袋詰めして用意しています。お菓子は市販のハロウィンっぽいもの、いわゆる「ジャンキーなお菓子」がほとんどです。

帰って、お菓子を広げますが、あまりに数が多いので、各家庭のベビーシッターに持って帰ってもらうことが多いです。

いくつか写真を紹介します。米国ニュージャージー州ショート・ヒルズ(Short Hills)の ディアフィールド(Deerfield)小学校での様子です。(クリックで拡大)

写真1

写真2

写真3

写真1:店頭に並ぶハロウィン・カボチャ
写真2:ミニー・マウスの格好をした私、隣は姉
写真3:校庭でクラスメート勢ぞろい。先生もてんとう虫の仮装。心地よい気候の季節の行事です

 


いのちへのケアとキリスト教の核心

田畑邦治(白百合女子大学学長、NPO法人 生と死を考える会副理事長)

1.哲学・教育・ケアの接点を探して

いのちの現場に問われて

今日まで35年余りにわたる私の教職の経験は、ケアの哲学・死生観の教育とキリスト教精神の出会いを探るものであったように思います。私は大学の研究所での事務の仕事を経て、最初の教職の場は、看護系の短期大学でした。そこで、キリスト教学や人間学を担当することとなったのですが、相手は臨床の場で働くことを目指す看護学生でしたから、果たして自分の専門用語が通用するものかどうかについて、いつも問われるばかりでした。

他方、社会活動の場としては、死別体験者の悲しみの分かち合いから発足したNPO法人「生と死を考える会」において、教養講座の講師や会の役員として、こちらもまたある意味で臨床的かつ実践的な人生との関わりの中で、自分の死生観が問われるということを経験してきました。

 

いのちの問題と哲学の使命

哲学・教育・ケアという分野の根源にあるキーワードともいうべきものは、やはり「いのち」であると思います。哲学史の流れからも、20世紀以降の現代哲学は、「現象学」や「生の哲学」や「実存哲学」に代表されるように、人間の現に生きているいのちの事実から出発して人間存在を考えるようになりました。

そういう20世紀西洋哲学の現場に身を置いた日本人哲学者・九鬼周造(1888-1941)は、哲学は決して「乾燥した抽象の学」ではなく、「生の鼓動を聞き、生の身ぶるいを感じる」ことにその本領がある、といった趣旨の発言をしています(九鬼周造「仏蘭西哲学の特徴」、『九鬼周造全集』第3巻、岩波書店、1981年)。

20世紀哲学の中で、私がもっとも刺激を受けた哲学者はエマニュエル・レヴィナス(1906-1995)です。彼の哲学は「他者」の問題に集中していますから、教育やケアを考える上で無視できないのはもちろんですが、これまでの哲学のありかた全般を問いに付すほどの革命的な意義をもっていると思われたのでした。

レヴィナスの難解な哲学を明晰に解説したイギリスの哲学者コリン・デイヴィスは、レヴィナスの哲学は「哲学の企て全体の方位修正」であったとし、次のように言います。

「(レヴィナスにおいて)哲学的テクストの任は、「他者」について語ることではなく、「他者」に声を与え、「他者」の声がそれをかき消すノイズを通してなお聴きとられるような、語法を見いだすために自ら行動することになったのである。……レヴィナスの提示する倫理……そこにあるのは、「他者」の声は聴き取られなければならないという、一つの情熱的な道徳的確信だけである。」(コリン・デイヴィス『レヴィナス序説』p.268‐269)

哲学の本来の姿が、そういう他者の声を聴く語法の発見である、ということは、日本で臨床の哲学の中心的な役割を果たしてきた鷲田清一もまた強調しているところです。哲学はこれまで「語ること」を本業としてきたが、それは正しいことであったか。むしろ「聴くこと」にこそ、哲学が真の力を発揮できる場があるのではないか、と(鷲田清一『「聴く」ことの力―臨床哲学試論』阪急コミュニケーションズ)。

 

生と死の尊厳に背く時代と教育の課題

ところで、一人一人のいのちの声がケアの心で聞き届けられるために、教育の責任は大きいと思います。教育現場は「競争」原理に浸透されて、いのちへのケアの側面がなおざりにされてはいないでしょうか。この問題にいち早く気づいていたアメリカの数学者・教育哲学者であるネル・ノディングスは『学校におけるケアの挑戦―もう一つの教育を求めて』(佐藤学監訳、ゆみる出版)の中で、人間の生存にとって何よりも大切なケアの精神が教育の場で教えられていないことに警鐘を鳴らしたのでした。教育の場にいる私自身、これははっとさせられることでした。

「ケアすることとケアされることは根本的な人間のニーズである。私たちは誰もが他の人からケアされる必要がある。幼いとき、病気のとき、老いたとき、その必要性は緊急かつ、いたるところにある。……(しかし)患者は医療制度の中でケアされていないと感じている。クライアントは福祉制度の中でケアされていないと感じている。老人はそれらの制度が提供する施設の中でケアされていないと感じている。子どもたち、特に青年たちは学校の中でケアされていないと感じている。」(11-12頁)

 

2.いのちの哲学―隠れたるいのち

哲学も教育も、第一義的にまず人間のいのちに向かい合い、そのいのちの声調に傾聴し、いのちのケアへの励ましになるべきだ、という認識は私の中でますます強くなってきました。しかし、この課題が至難なものであることは誰にも明らかなことです。その至難さの前で、諦めずに、理想を追求することができるのは、私にはキリスト教の福音とその伝統を汲む哲学の刺激が何よりの力となっています。キリスト教は何にも増していのちの尊厳とその偉大な完成を伝えるものだからです。

ところで、あまりに頻繁に使われる「いのち」はそれがあまりに多義的であるため、有意義な共通理解は難しいのですが、こと人間のいのちに限定してみるとき、いのちはただ生物学的な要素だけで語りつくされることはできず、一人ひとりの人格・感情・意志など、独特なニュアンスを有するものである、ということが注目されるべきです。いのちはこの意味で、隠れたるものであり、丁重な聴取の心をもった人にだけその内面の秘密を打ち明けてくれる、そういう内的でデリケートなものです。

ミシェル・アンリ(1922‐2002)という哲学者は晩年の名著『キリストの言葉―いのちの現象学』(武藤剛史訳、白水社)の中で、人間のいのちのこうした内面性を重視して、人間のいのちは、外面(世界一般の視野)からは直ちに見ることのできない「心」という情感性(受苦・喜び)を持って生きている存在であり、たんなる「理性」的存在ではない、と繰り返し述べています。

アンリの思想から意識させられることは、われわれは世界内的なものばかりに眼を向けて、他のすべてのものよりもはるかに価値あるはずのこのいのちを忘れ去り、優先順位を逆転させていないか、ということです。

 

3.〈いのち〉とキリスト教

聖書における〈いのち〉

われわれはいのちをまず身体的なものと考える習性を持っていますが、聖書では当然ながらもっと広く高い意味をもっています。ヨハネ福音書では「永遠のいのち」と頻繁に言われますし、それは共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)では「神の国」と同じ意味を持ちます。つまり、人間のいのちは生物学的・医学的意味を超えて、深まりゆくものであるとされています。いのちは神の内に生きているものであり(ルカ20:27‐38ほか)、いのちは単なる器官(モノ)ではない。それは根源的に神(超越)との密接なつながりをもっており、したがって。対象化(モノ化)できない尊厳を有するものです。

 

おわりに―愛によって完成するいのちの神秘

先日、私は通っている教会のミサの中で、当日の典礼が用意してくれた次の祈りに心が惹きつけられました。ミサや礼拝では、聖書の言葉が中心になるのは当然ですが、御言葉の前後に祈られる祈りが、その日の御言葉の神学を短く要約している場合があって、それはとても助けになるものです。

「愛の源である神よ、神と人々を愛し抜かれたキリストを思い起こして祈ります。主の死と復活の神秘にあずかるわたしたちが、その愛の勝利を力強くたたえることができますように。わたしたちの主イエス・キリストによって。アーメン。」(奉納祈願)

愛の源である「神」と、その愛を極みまで生きた「キリスト」。そのキリストの死と復活にあずからせていただく「私たち」の人生の目的が「愛の勝利」の「賛美」である、と。