松橋輝子(東京藝術大学助手)
ということで、東京藝術大学助手の松橋輝子さんにお尋ねしてみました。音楽史、とくに教会の会衆歌がご専門です。(編集部)
そうですね。実際、日本では、キリスト者でない人にも知られているような聖歌、賛美歌はあまりないかもしれません。それでも、ヨーロッパではとてもよく知られている歌があります。日本の聖歌集にも伝わっている歌です。そこで今回は、復活祭の有名な聖歌の一つ、カトリック聖歌集206番「よろこびたたえよ」を取り上げたいと思います。
この聖歌の起源は、1777年にドイツのランツフートで出版された聖歌集に収められた《Das grab ist leer(墓は空だ。英雄は目覚めた)》にさかのぼります。この聖歌集は、1783年に第2部が加えられ、瞬く間にドイツ語圏に普及しました。そして、カトリック教会の聖歌集史上、前代未聞の成功を収めたことで知られています。
この聖歌も例外ではなく、現在まで歌われ続けており、復活祭の聖歌としてもっとも有名な旋律です。作詞、作曲を担ったのは、ランツフート聖歌集の編纂に当たっていたコールブレンナー、そしてハウナーだと言われています。キリストの復活の喜びが力強く歌われます。公開音源がこちらにあります(聖歌は1:30~)。
ドイツ語の歌詞を直訳してみると、次のようになります:
救い主が復活した。人々は彼の神的な力をみた。
それは死をつぶした。いかなる封印も墓も石も、岩石も抗うことはできない。
不信心が彼を閉じ込めても、[救い主は]不信心に勝利するだろう。
日本においてこの聖歌が最初に収録されるのは、『公教會聖歌集』(第3版、1926年)です。その後、少しずつ歌詞の変更がありますが、『公教聖歌集』(初版1933年、増補改訂版1948年)、そして現在の『カトリック聖歌集』(初版1966年)にまで引き継がれています。日本だけでも100年ほどの歴史を持つことになります。1926年の歌詞には、死者の世界に打ち勝って約束通り復活したキリストへの賛美が綴られ、より原曲に近い歌詞の内容となっています。
旋律的にみると、冒頭の4度跳躍がとても特徴的で、この跳躍がさらに2行目でも繰り返されることで、喜びの表現を効果的に生み出しています。
とても、有名な旋律ですので、日本の人々もどこかで耳にしているのではないかと思います。今でも、復活祭のミサの中で、一度は歌う機会があるかもしれません。
現在の『カトリック聖歌集』の歌詞だけではなく、かつての日本語の歌詞を当てはめて歌ってみると、キリストの復活に対して寄せられてきたイメージをさらに味わうことができるでしょう。
もう一つ、日本のカトリック教会の復活祭で最も頻繁に歌われる聖歌の一つ、カトリック聖歌集207番「さかえのみ神よ」についても、少し紹介したいと思います。
作曲者は、イギリスの作曲家でありオルガニストだったヘンリー・スマート(Henry Thomas Smart, 1813~1879)です。この聖歌は、《See, the Conqueror Mounts in Triumph(見よ、栄光に輝く王)》として1868年に作曲されています。この題名からもわかる通り、オリジナルの聖歌は、詩編24章7節(城門よ、頭を上げよ/とこしえの門よ、身を起こせ。栄光に輝く王が来られる。)に基づいています。この聖歌の主題は、キリストの昇天ですが、同時に、キリストの受難、死、復活にも触れられており、主の昇天や復活祭の祝日に、頻繁に歌われてきました。
一方、日本語の聖歌では、終始、復活に焦点が当たっています。冒頭2行「さかえのみ神を うたえ アレルヤ 打ち勝ち給えり 死にも アレルヤ」は、リフレイン部分となり、この聖歌を通して特に強調されますが、これは先ほど紹介した聖歌「よろこびたたえよ」と同様、死の世界に打ち勝ったイエスの像をはっきりと浮かび上がらせます。復活されたイエスの輝かしい栄光を、聖歌を通して賛美することができるでしょう。
会衆によって歌われる聖歌は歌う人や聞いている人による祈りです。その聖歌の歌詞は教理の理解を助ける重要なものです。歌詞を味わいながら歌い、さらに個々の聖歌の歴史も知ることで、さらに聖歌の奥深さに触れていけたらと思います。
※なお、復活祭の聖歌が日本であまり知られていないわけについては、過去の記事「復活祭と聖歌」で取り上げられていますので、こちらも参考にしてください。