第1章 神さま、かな God, I Guess


本連載は、イエズス会のグレゴリー・ボイル(Gregory Boyle)神父(1954年生まれ)が、1988年にロサンゼルスにて創設し、現在も活動中のストリートギャング出身の若者向け更生・リハビリ支援団体「ホームボーイ産業」(Homeboy Industries)(ホームページ:https://homeboyindustries.org/)での体験談を記した本の一部翻訳です。「背負う過去や傷に関係なく、人はありのままで愛されている」というメッセージがインスピレーションの源となれば幸いです。

 

ギャング出身*の親しい仲間たちにささげる(*訳注:「ギャング」とは、低所得者向け公営住宅地等を拠点に、市街地の路上等で活動する集団であるストリートギャングを指します。黒人や移民のラテン・アメリカ系が主な構成員です。)

 

グレゴリー・ボイルGregory Boyle(イエズス会神父)

訳者 anita

 私たちは注意しないと、神がごく小さくて、ちっぽけな存在になってしまう危険性があります。私たちはそれぞれ、自分が迷った時に立ち戻る指標や基準としての神のイメージを持っているのではないでしょうか。

 

 私の思い描く神のイメージの指標は、私の友達であり、霊的指導者でもあるイエズス会のビル・ケイン神父です。何年も前、ビルは、がんで死期が近づいていた父親の介護のために休職しました。彼の父親は、体が弱り、何をするにもビルに頼るようになっていました。肉体的には昔と変わり、病気で衰弱していましたが、頭脳は今までどおり冴えわたっていました。成人した子どもが、死を迎えている親を世話する場面で多く見かける逆転現象が起こり、ビルは、自分が幼い頃に父親がしてくれた時とまったく同じように、父親をベッドに寝かしつけ、眠りにつかせるために本を読みました。ビルは何かの小説を読み、横になった父親は、ほほえみながら息子をじっと見つめました。ビルは終日の介護で疲れ果てており、父親に、「なあ、父さん。僕が本を読み聞かせるから、父さんは眠ってよ」と頼みました。ビルの父親は、いたずらがバレた子のように謝り、言われたとおりおとなしく目を閉じました。でも、これは長続きしません。そのうち、ビルの父親は片目をパッと開けて息子にほほえむのでした。ビルは、これに気づき、「もういいかげんにしてくれよ」と抗議します。父親は、また言うことを聞いて目を閉じますが、今度は反対の目を開けて息子を一目見ようとするのでした。これは幾度となく繰り返されました。父親の死後、ビルは、実はこの毎晩の儀式が、わが子からどうしても目をそらすことができない1父親の逸話であることを理解しました。ではこれが神の場合ならばどれほどでしょう? インド人のイエズス会士のアントニー・デ・メロは神について、「見よ、あなたを見て、ほほえむお方を」と書いています。

 

 神は、私たちから目をそらさないことに忙しすぎるため、とがめるために眉をひそめる暇さえないといえます。イエスに当てはまることは、私たちにも当てはまります。雲の間から私たちに直接、声が響きます。「あなたは私の愛する子。私の心に適(かな)う者」。これには、何ら「ちっぽけな」ことはありません。

* * *

 

 私が司祭に叙階されてから間もない頃、南米ボリビアのコチャバンバという場所に1年間滞在しました。この期間は、私を永遠に変えた恵みあふれる時期でした。当時、私のスペイン語力はかなり乏しく、その年は言語の勉強と司牧活動に明け暮れました。(ドローレス・ミッションでひと夏過ごしたおかげで)スペイン語でミサを行うことはできましたが、しばらくの間は、ミサ典礼書の奴隷でした。滞在初期の頃、私は、テンポラルというコミュニティで司牧活動を始めました。ここは、神父が長年不在でした。その数週間後、私は、ある医療従事者グループから、ティラニという場所でミサを司式してほしいという依頼を受けました。ここはコチャバンバの標高のとても高い所にあるケチュア語族のコミュニティで、先住民の人々が市場で売る花を栽培していました。農夫たちが大量の花を背負って、ティラニから長い距離を歩いていく姿はよく見る光景でした。重い荷物を運ぶ家畜のように、彼らは低く腰をかがめながら町まで歩いていきました。

 

 医療従事者たちは、ケチュア語族の人々が10年以上も司祭に会えていないと説明し、私がスペイン語でミサを司式してくれれば彼らの誰かがケチュア語で説教する、と言いました(現地の人は全員、ケチュア語を話せましたが、自分を弁護できるほどスペイン語が堪能なのは男性だけでした)。医療従事者たちは、ある日曜日の午後1時、丘のふもとまで私を迎えにきてくれました。私は、他の人たちと屋根なしのトラックの荷台に乗り込み、山のてっぺんへと登っていきます。道中、私はリュックサックの中身を確認することにしました。私はミサ典礼書以外、すべて必要なものを持っていました。神のみことばを持っていないのです。新人司祭であった当時、私は英語でミサを自由に司式できませんでした。ましてやスペイン語で司式するなど、ありえません。スペイン語の聖書は持っていましたので、必死でページをめくって聖変化の文言と似た箇所を探しました。「これを取って食べなさい」

 

 新約聖書の中で、イエスが食卓を囲んで食事をしているあらゆる場面を探しました。みるみるうちに、私は冷や汗びっしょりですが、まだティラニに到着すらしていません。私の顔は真っ赤になり、暑苦しく感じました。

 

 私たちは、作物が植わっていない、だだっ広い原っぱに着きました。何百人ものケチュア語族の人たちが集まり、食卓である祭壇前に座っていました。全部ケチュア語で読んでくれる医療従事者たちに助けられながら、ことばの典礼をよたよたと騙しだまし進みました。ある男性の医療従事者が説教してくれた後、私の出番がやっていました。私は、まるでひどい交通事故に遭った人のようです。頭の中が真っ白け。

 

 ただ分かっているのは、聖書から盗んできた引用句をメモしたカンニングペーパーが手元にあることだけです。セリフにつまるたびに、パンとカリスを持ち上げました。このミサがこれ以上ひどくなる事態なんて考えられません。

 

 ミサ終了後、私は疲れ切って自尊心もズタズタです。私が、風に吹かれて飛んでいってしまいそうなほど粉々となった自分を何とかつなぎ留めて元に戻そうとしていた時、ある女性の医療従事者が、ケチュア語族のおばあさんを一人連れてきました。

 

 「ゆるしの秘跡を10年間、受けていないそうです」

 

 その医療従事者は、女性を残して立ち去りました。おばあさんは、ケチュア語で歌うように矢継ぎ早にまくしたてながら、10年分の罪を吐き出しました。私は、頭の鈍い人のように、ひたすらうなずき、終わったしるしとして彼女が一息つくのを待っていました。彼女には、大きな肺があるようで息つぎが不要のようでした。これが30分くらい続きます。やっと彼女の話が止まったので、彼女に罪の償いを告げ、暗記していたゆるしの祈りを唱えました。彼女は帰っていきました。私は振り返って、自分が見捨てられたことに気づきました。ミサを祝った原っぱには誰もいません。どういうわけか、医療従事者たちのトラックの姿かたちもありません。山のてっぺんで、私は足がないばかりか、自分のバカさ加減をさらした屈辱感に打ちのめされていました。この地を訪れた、いや、この地球上に生きた司祭の中で、私よりもひどい司祭はいないだろうと確信しました。

 

 リュックをしっかりと背負い、すっかりしょげて、山を下りて町に戻る長い道のりを歩き出しました。しかし私たちの聖堂であった、臨時に作られたサッカー場を離れる前に、一人の老いた農夫がどこからともなく私に向かってきました。彼は非常に年を取っているように見えましたが、労働と先住民生活の苦労にさらされたことによるものだと私には思われました。近づく彼の姿を見ると、つぎはぎを合わせたウールのズボン、襟が大きくほつれたボタン付きの白シャツを身に着け、ベルト代わりにロープを腰に巻いていました。彼の上着はゴワゴワですりきれており、かぶっているフェルト帽は年季が入っています。皮のメッシュサンダルをはき、その足はボリビアの泥にまみれています。顔のありとあらゆるすき間にしわが刻まれています。私よりも身長が30センチ以上低い彼は、私の正面に立つと、「タタイ」と呼びかけました。

 

「タタイ」とは、ケチュア語で「パパ」という意味で、愛情と心に響く親しみを込めた呼び名です。彼は、突き刺すように鋭く、疲れた目で私を見上げながら、「タタイ。来てくれてありがとう」とスペイン語で言いました。

 

 私は返事をしようとしましたが、何も出てきません。でもそれで良かったのです。私が口を開く前に、老いた農夫は、上着のポケットに両手を突っ込み、両手いっぱいに色とりどりのバラの花びらをつかみ出しました。彼は、つま先立ちになり、私に頭を下げて協力して、というしぐさをしました。そして私の頭の上からバラの花びらを降らせました。私は言葉もありません。彼はまたポケットに両手を入れ、同じように2つかみの花びらを取り出しました。これを何度も何度も繰り返し、赤、ピンク、黄色のバラの花びらが際限なくあるかのようでした。私はただなされるがままにそこに突っ立って、今や自分の涙で湿り、バラの花びらで埋まった自分の皮のメッシュサンダルを見つめていました。ようやく農夫は立ち去り、私は、バラの華やかな香りに包まれながら、その場に一人残されました。

 

 その後、私は度々ティラニを訪れ、同じ村の人たちに幾度も会いましたが、この年老いた農夫には二度と会うことはありませんでした。

 

 私たちが描くあらゆる神のイメージをはるかに超えたものが神さま、かな、と思います。私たちとともに今生きている神は、私たちの思い込みの中にいる神よりもはるかに大きいのです。何よりも、神の真実とは、失望やとがめとは無縁な喜びなのです。この喜びは、「合格基準に達していない」という私たちの発言の意味を理解できないのです。神の喜びとは、あなたの誕生日に信徒会館に集まり、ただあなたと頬を寄せ合って踊りたいと願って列をなす大勢の女性信者たちのようなものです。米国のイエズス会士であるダニエル・ベリガンが言うとおり、「一番大事なものは真っ先に」です。神よりも偉大な神は、私たちの頭上からバラの花びらを永遠にまくことだけを考えています。見よ、あなたから目を離せないお方を。

 

 その果てしない壮大さの中に、自分をマリネのように漬け込んで味わおう。

 

TATTOOS ON THE HEART by Gregory Boyle

Copyright © 2010 by Gregory Boyle

Permission from McCormick Literary arranged through The English Agency (Japan) Ltd.

本翻訳は、著者の許可を得て公開するものですが、暫定版です。

 


第1章 神さま、かな God, I Guess” への2件のフィードバック

  1. 沈みこみがちな日々のなかですが、お話を読み、神様のまなざしが感じられ、励まされました。ありがとうございました。

  2. 花びらが巻かれる時、神様の恵みが私にも与えられたようでした。神様は自分がどんなに惨めな働きしか出来ていないと思う時でも、祝福して下さっているのだと思います。良い文章の翻訳をありがとうございました。

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