こころを開く絵本の世界3〜新しい日常が始まる〜


山本潤子(絵本セラピスト)

 倒木更新

9月になりました。蝉の声がいつの間にか草むらの虫の音に変わり夕暮れが早くなったとはいえ、日中の厳しい暑さに秋の訪れを楽しむ余裕はまだありません。

都心の賑やかな商店街に暮らす私の楽しみは森の中を歩くことです。徒歩10分ほどの林試の森公園は朝夕の散歩にはもってこいの場所、この森があるからこの街に住んでいると言っても過言ではありません。森の樹々たちは競い合うように二十四節気を教えてくれます。今朝もいつもと違う足裏の感触にようやく私は秋が始まったことを実感したのです。

『えぞまつ』 
神沢敏子:ぶん、吉田勝彦:え、有澤浩:監修、福音館書店

北海道には広大な原生林が広がっています。秋になるとエゾマツは松カサを開いて膨大な数のタネを散らします。厳しい冬を越したタネは春になると一斉に芽や根を伸ばそうとします。しかし、落ちた場所によっては根を伸ばすことも芽を出すことも出来ません。運よく発芽しても落ち葉に覆われ、霜が根を持ち上げ、春を迎えることができないのです。

それなのに、どうしてエゾマツの森は失われずにあるのでしょう。そこには倒れた古木が朽ちるまでの見事な生きざまと受け継がれる命の秘密がありました。倒れたエゾマツは10年も経つと苔をまといます。運良く苔の上に落ちたタネは柔らかい苔に守られ根を張り古木の養分を肥やしに成長します。また、倒木の上は高い位置にあり光を浴び、100年、200年、300年と時間をかけて見事な巨木に成長します。
 森の中で植林したように真っ直ぐにエゾマツが並んで立っているのは、そこに倒木があったという証、「倒木更新」なのです。倒れてもなお、すべてを子孫に与えゆっくり朽ちていく、それがエゾマツの生涯です。幼い芽が立派に自立するまでの世代交代の営みと300年という壮大な命のサイクルに圧倒されます。命を授かるということも生まれて成長するとい

苔生した倒木

林試の森公園

うことも奇跡の連続なのだと土に還り姿を消したエゾマツが語りかけてくるようです。

 

絵本を閉じて深呼吸を一つ、すると商店街の「夕焼け小焼け」のメロディが夕刻を告げ、森

の時間から一気に呼び戻されました。

人生を倒木に重ねて思うことは、「自分を生きること、自分を使い切ること」。きっとその足跡に新しい芽が育つのではないでしょうか。子孫に受け継ぐというよりも、「倒木更新」という厳しくも潔い概念を心に刻むことができました。時間に追われ駆け足で生きているような日々を振り返り、もっとゆっくり丁寧に生きていこうと思いました。いつか朽ちて天寿を全うする、その日まで。

 季節の絵本

『いっぱいやさいさん』
まどみちお:文、斉藤恭久:絵、至光社

美味しそうなトマト、テントウ虫と蟻が表紙を飾っています。ページをめくると、キュウリが3本、1本は切り口を覗かせて今にも水が滴り落ちそうです。

「きゅうりさんは きゅうりさんなのが うれしいのね。」

思いがけないキュウリへの声がけと描写に口元が緩み、次のページが待ちきれない瞬間です。玉ねぎ、ラディッシュ、とうもろこし……きれいな野菜の絵が続きます。途中、見開きいっぱいにたくさんの野菜が大集合、よく見ると仲良しの虫たちも配置されています。

どの野菜にも「〇〇さんは 〇〇さんなのが うれしいのね」と、くすぐったいような言葉が繰り返され、脳は自分が言われているように反応しているのでしょう。幸せホルモンが溢れているに違いありません。誰であってもこんなふうに言われたら嬉しいに決まっています。「私が私であることが嬉しい」こんな発想は今まであったでしょうか? 作者は「自分が自分として生かされていることを幸せに思わぬものはいません」と後書きに記しています。同じ生き物であっても食料として存在する野菜たちを慈しむ言葉にも思えました。

ところで、野菜も肉魚もそのものではなく栄養素として捉える時代になったと感じることがあります。小松菜はカルシウム、人参はカロテンのように分類された表もよく見かけます。栄養バランスを考えることは悪いことではないのですが、基準を設けて評価し、分類して価値を測るような思考がいつの間にか当たり前になっているのではないか、そして、そんな分類は食物だけではないのかもしれない。終わりのない深読みに陥りそうになり、慌てて絵本に戻ります。

この絵本を初めて読んだ時、ナスのページで思い出すことがありました。「秋茄子は……」と言われるようにこの季節のナスは本

ナスの花

当に美味しいです。新婚当時、私は畑が広がる新興住宅地に住むことになりました。新参者の私たちは地域に溶け込もうと代々その土地で暮らしている農家のおばあちゃんと親しくなりました。お祭りのこと、ゴミのこと、地域役員のことなど何でも教えても

らいました。春に引っ越して半年ほど経ったある朝、家を出ようとすると玄関先にナスが山ほど置いてあったのです。メモも何も

ないけど農家のおばあちゃんが置いていったのだとすぐにわかりました。おばあちゃんのナスは週に少なくとも2回、その日から、我が家の食卓には毎日ナス料理が並び、レパートリーもずいぶん増えました。ナスをナスとして食す日々は11月頃まで続きました。翌年からおばあちゃんに苗をもらい庭で育てることにしました。立派なナスにはなりませんでしたが、薄紫の花は驚くほど美しく高貴な雰囲気をまとっていました。華奢な夏野菜だと思っていたナスですが、実は背丈ほどの木のように大きくなり、紅葉の頃まで収穫できることを知りました。

「なすびさんは なすびさんなのが うれしいのね」、繰り返される珠玉の言葉は思考と一つになる日がやってくるでしょう。

「わたしは わたしなのが うれしいのね」、宝石のようにいつしか読者の人生を飾る言葉になりますように。

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東京理科大学理学部数学科卒業。国家公務員として勤務するも相次ぐ家族の喪失体験から「心と体」の関係を学び、1997年から相談業務を開始。2010年から絵本メンタルセラピーの概念を構築。

https://ehon-heart.com/about/


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