「コロナ禍とオリンピック」に思うこと


AMOR編集部では、「コロナ禍とオリンピック」というテーマについて思うことを募集し、率直な意見を述べていただきました。ご協力いただいた皆様、ありがとうございました。

オリンピックは全く見ていません。コロナに対して、緊張感が段々薄くなってきたと感じました。緊急事態宣言とか蔓延防止などの話があっても、自分を含め皆が平気に外出しています。前であれば、在宅勤務もしましたが、最近ほぼ全員が出勤しています。また、予防ワクチンを受けて大分気楽になり、コロナへの警戒感があまり無く、プールへも行っています。
私は、コロナ禍にオリンピックを開催することは反対でした。これほど世の中に反対意見が多く、緊急事態宣言中にも関わらず、無理やり強行したように感じました。今となっては一日も早く終わって欲しいと願うばかりです。
いつもの時間に普通のニュースがみたい。
オリンピックは、1日のまとめ編集をやってもらって放映してほしい。(例えば夜22:30と翌日6:30)
わたしは今回のオリンピック開催には反対でしたが、選手の立場になってみると、今日のために長い間努力と練習に励み、その力を発揮する場があって良かったと今は感じています。あとは無事に終わり、感染者も増えないことを願うばかりです。
東京オリンピックの開催が決まった時、これは1964年のノスタルジーに捕らわれた人たちの「幻影」を見せられるのだと思いました。しかしコロナはあらゆる社会課題を先行して浮き彫りにし、そんな幻影さえもまともに見れなくしました。これは社会の成長だと思います。抗議する選手もいれば、敢えて無言で競技に打ち込む選手もいるように、真の意味で“多様性の祭典”に近づく1歩となることを、願ってやみません。
ご苦労なさっている方々には申し訳ないのです本音では“禍”をあまり実感していません。通勤、会議、飲み会等がなくなり、無言、無愛想、ソロ活問題なし。以前より生きやすいです。オリンピックも本来の意義は失われているので今回の東京大会で終了しては如何かと思っています。
2020年2月東京都医師会は「新型コロナは風邪以上インフルエンザ未満」であると言っていた。今でも多くの医師はそう考えている。しかし、感染症予防対策を行なっている学者は感染を抑え込むためには行動制限とワクチンの接種が必要で、全国民に高い意識を持ってもらわなければいけないと言う。そして、自粛のため経済活動が鈍ると自粛解除と騒ぎ立てる人がいる。さまざまな意見が、それを裏付ける証拠すら曖昧なままで飛び交い、迷いの中で人心が分断されている。昨年5月にNHKが女性ジャーナリスト、ナオミ・クラインの「ショック・ドクトリン」を取り上げた。国民がショックを受けている時、社会が混乱しているときに、重要な法律やシステムを作り上げ、貪欲な資本主義がそれを貪り尽くすと言うもの。日本の分断は知らない間に餌食になっているのではないか。そんなことを考えた。
今、私たちは誰かの言うことに惑わされるのではなく、自分が正しいと思うストーリー、信仰を大切にしなければならないのではないだろうか。コロナ禍で、宗教や社会常識、権力者が描くストーリーが実は脆いものであることがわかってしまった。私たちの生き方が集団や組織から個に向かうなか、本当に大切なのは信仰心であると気付かされた。
コロナ感染と対応できない政府の不手際の下でオリンピックは開催されました。街の反応も冷たく、私はボランティアで3年目、関係者では6~7年、そしてアスリートは一生をかけて成功裏に閉幕するよう頑張っています。反省は終わってから、関係者が熱中症、コロナに負けずゴール出来るようエールを送りましょう
コロナとオリンピックですが、時期が適切かは置いておいてオリンピック開催は選手は嬉しいのではないかと思います。これを励みに努力を続けてきたいたわけですし。ただ、ワクチン接種が普及してから観客ありでの開催の方が良かったのではないかと思います。その際も選手団、関係者含めてもっと行動制限が必要と思います。規制はすべき。あと、オリンピック利権云々は今に始まったことではないので分けて考えても良いのかなと思います。
コロナ禍と言いますが、私はこのコロナ禍という言葉を使わなくなりました。コロナは禍いだけをもたらしたのではないと思うようになったからです。コロナのおかげで自分にとって本当に大切なものが何かに気づくことができました。また今回のオリンピック騒動で、オリンピックに「サヨナラ」することができました。金メダルの数に夢中になり、金(かね)まみれのオリンピックよ、サヨナラで悔いはありません。
以上です。
お祝い感なきスポーツの祭典の幕開け、無観客で競技者のモチベーションはいかがなものか?
気付こうと気付かまいと今、地球は新しい世界へと移行している。コロナとOlympicは人類の生き方を「自覚」し「気付き」「目覚める」最大のチャンスなのかもしれない。「気付き」によって人類は進化する。
オリンピックが始まる前は開催反対だったが、アスリートの立場になって考えるとオリンピックが無事に終わってほしいと思う。
一昨日、近所の隼君が卓球混合ダブルスで、金メダルを取ったこと。とても嬉しく思いました。隼君は、コーチとして参加していた子供会のソフトボールで、次男と一緒にプレーしていたので、とても親近感があります。
一方、日本人選手が活躍したことを伝える過激な報道や、今回は、さすがにニュースで、ほとんど見ませんが、歓楽街などでバカ騒ぎをしている人たちをみると、違和感を感じます。どの選手も、これまでの練習や努力が、しっかり出せればいいですね。
メダルの数、国毎に競っていること、どうでもいい感じです。
今回のオリンピックでは、悪い言い方すると、金でメダルを買っている、メダルを取りやすい競技を正式種目にしてきたとも感じます。
だから何が何でもオリンピックは開催しないといけなかったのでしょうか。
これまでの日本の各種目、それぞれの選手が活躍しており、嬉しいですが、日本の獲得メダルの数に意味は感じないですね。
菅総理大臣は「安全安心を確保する」と言われていますが、安心はそれぞれが感じるもの。安心を確保すると大上段に言っている意味がわかりません。安心を皆が感じるように政府として対応すると言う意味であれば、今の状態に対する政府の取り組みの説明責任を果たすべき。わたしは果たしていないと思います。酒の提供の自粛を求めオリンピックを開催する。今の状態はブレーキとアクセルを一緒に踏んでスピンしている。皆の行動自粛を求めるのであれば、アスリートの方々には申し訳ありませんがコロナ禍で苦しんでいる人を考え、政府がしっかりブレーキを踏み、しっかり危機感を伝え、コロナによるオリンピック閉止を宣言することが皆の行動自粛につながるものと思います。

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