余白のパンセ(6)思い出のプラットホーム――井上洋治神父の姿と本郷での出版人生を追いながら


鵜飼清(評論家)

JR飯田橋駅のプラットホームのベンチに、井上洋治神父が腰を下していたという1975年のある日の午後。井上神父は、北洋社という出版社の社長さんに会うために待っていたといいます。

「日本人の心情でとらえたイエスの教えを、日本語という素材のうえに凝縮できるのか」
「日本人の心情でイエスの福音をとらえなおさなければ、イエスの福音が日本人の心の琴線をかきならすことはないだろう」

井上洋治『日本人とイエスの顔』(日本基督教団出版局、1990年)

井上神父が長い苦闘の歳月を経て思索し、2年以上の歳月をかけて書き上げた原稿を渡すためにベンチに座っていたのです。この原稿が『日本とイエスの顔』という本になります。

井上神父が出版社の社長さんを待っていたという、そのある日に、私は飯田橋駅のホームから水道橋駅へと電車に乗っていたかもしれない。というのは、大学を卒業して出版社をめざしていた私は、本郷にある新泉社という出版社の編集長である桜井俊紀さんに会うため、東西線の高田馬場駅からJR飯田橋駅経由で水道橋駅まで乗り継いでいたからです。桜井さんに話を聞くことで、出版の世界を知りたいと思っていました。

桜井さんとの邂逅を楽しみながら、私は高校時代の友人がアルバイトをしている渋谷にある小さな出版社に遊びに行っていました。そのうち勤めることになり、出版の実務のイロハを学びました。そしてその出版社を辞め、しばらくの年月が経ってから、桜井さんの紹介で本郷にあった風濤社で働くことになりました。風濤社は電子ビルの4階にありました。それから数年して、桜井さんから一緒に出版社を創ろうと声をかけてもらい、大塚典正さんと3人でマルジュ社という出版社を本郷で立ち上げました。

そしてキリスト教書を出している燦葉出版社に関わり、一時本郷から離れたものの、また本郷に戻って、私たち夫婦と大塚さんとで「パピルスあい」という出版社をはじめました。このように私の出版人生のほとんどは本郷で過ごしています。本郷に戻ったときは、カトリックの信仰を礎にした出版物を出しはじめることにしました。

その本郷を2021年の1月に去ることになりました。「パピルスあい」は、くしくも、風濤社のあった電子ビルの1階が事務所でした。私の本郷での出版人生は、電子ビルではじまり電子ビルで幕を閉じることになりました。

本郷を去るとき、ガランとした何もなくなった事務所で、一人佇みながらいままでのいろいろなことが思い出されました。

「イエスの教えによれば、私たちが幼子の心、童心に立ち返って、神をアバとして信頼してゆくところに、このスッカラカンを単なる風や無としてではなくて、神の力、神の国として体験しうる秘訣があります」

(『日本とイエスの顔』)

スッカラカンをこのように示唆されるいま、井上洋治神父との出遭いが生まれたことに感謝せずにはいられません。

そして、事務所と家の二重引越しを手伝ってくれた、「AMOR」のお仲間たちへの感謝も忘れてはならないでしょう。

いま私たち夫婦が支えられているのは、信仰のなかに生きる人たちの愛の実践の力によるものと思います。私が相棒(恵里香)の岳父(上総英郎)によって、井上洋治神父を知ることができ、井上洋治神父への旅をこの連載で続けていくことができるのを、改めてありがたいことと思っています。

JR飯田橋駅もあの頃とは変わりましたが、私にとっての飯田橋駅は、井上洋治神父を想い、私の出版人生を辿るかけがえのない駅です。

「パピルスあい」は、新宿区戸山を新しい場所として再スタートいたします。

 


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