新型コロナウイルスに寄せて思うこと


あき(カトリック横浜教区信徒)

新型コロナウイルスの急速な感染・重篤化の波に世界は大変な恐慌をきたしています。まさか伝染病の瞬く間のひろがりが、これほど急激に人間社会を脅かし経済を低迷下させるなんて誰が予想できたでしょうか。改めて人間が地球という小さな惑星に生存し、その自然の恵みを受けて生かされている。一旦自然が人間に牙を向くと、その被害は全世界に影響を及ぼす力を秘めているということを思い知らされます。

このような伝染病は人間社会には度々現れてきました。中世14世紀のヨーロッパのペスト(黒死病)もそうですし、最近のエボラ出血熱やSARS・MERS、H5N1亜型インフルエンザ等も急速に世界的に蔓延した伝染病でした。

そして今回の新型コロナウイルスは、それ以上のようです。

毎日、対策の徹底や、それに対する問題点のニュース、耐えきれない現状の報道など。刻々と変化する日常の中で、心無い人が自分が陽性だからと他人に移しまくったり、耐えられない日常にいやけを感じて喧嘩したり、家庭内暴力を働いたり。不安な日常に反応する人々もいます。これらは、もしかしたら天災と匹敵するくらい人間の弱さをさらけ出しているようです。

最近わたしは、「もしわたしが陽性になり重篤化したら、イタリアのどこかの神父さまがされていたように人工呼吸器を若者に譲ることができるだろうか」と考えます。そして、もしその日を迎えることになったら、心安らかに過ごすことができるだろうかと考えます。

そして今わたしは思います。このような人たちと同じような気持ちになるためには、日常に対する感謝が必要なのだと。

わたしは生かされているということを意識することが、その時が来た時に感謝を持って迎えることができるのだと。

改めて、そんな気持ちを持つことができるだろうか。自分のこころに問いかけています。

もう一つ思うことがあります。暗い不安なニュースの中に、「明るく頑張ろうねっ」と様々な人が工夫を凝らして「希望」を発信している姿。医療従事者の方や弱者にお弁当を作っている人。歌やダンス、狭い場所での楽しみ方などなどを発信している人。こどもたちのために喫茶店を提供してあずかる姿などなど。

「こんな時だからこそ現れる人のやさしさ・アイデア・英知。これこそ神さまはすぐそばにいて私たちを見守り、そして私たちの手を通して愛を伝えてくださっている」と感じざるを得ません。

人は人にやさしさ伝えることのできる生物だと思います。つらい時だからこそ静かなやさしさが人を励まし、救ってくださる。

わたしは朝、近所の公園を歩きます。すれ違う人は皆マスクをして静かに歩いています。季節はさくらから新緑に移りつつあるこの頃、自然の猛威の中、明るい清々しい自然を感じて何時の日か脅威が立ち去るのを静かに待ちたいと願います。

 


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