第5回  希望の計画 エレミヤ書29章11節


佐藤真理子

「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている――主のことば――。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」(エレミヤ書29章11節)

今日の聖書箇所旧約聖書のエレミヤ書2911節は、私の大好きなみことばです。この言葉は、私たちの将来が希望が満ち溢れていることを約束する言葉です。この言葉を握りしめるとき、くじけそうなときも目の前の状況ではなく、神に目を向け、再び立ち上がることができるのです。

これはエレミヤという旧約聖書に登場するエレミヤという預言者の言葉です。聖書に書かれる預言は、「預かる言葉」と書きます。預言者とは、神の言葉を預かって人に伝える役割を負った人のことです。

 エレミヤの生きた時代は、当時二つに分かれていたイスラエルの南ユダ王国がバビロン捕囚にあった時期でした。ユダヤ人たちはバビロニアの占領によりバビロニアへの強制的な移住を余儀なくされたのです。

エレミヤは、滅びゆく国の姿を目の当たりにした人でした。彼はイスラエルの民がバビロン捕囚によって苦しみの中にたたされたとき、共にいて、主の言葉を伝え続けました。エレミヤの預言は、一つの偉大な神の賜物によって、支配されていました。それは希望です。

エレミヤは背教の罪を犯した民に神の悲しみを伝えると同時に、国が滅ぼされバビロンに捕らえられていった者たちに、希望を伝え続けました。彼は民に、捕えられた先で、畑を作り、家を建て、子供を育てるよう指示しました。エレミヤは苦しみの中でも主により頼めば心の平和を得ることができることを示しました。

神はユダヤの民をバビロンから再び救い出すことを約束していました。そのようにしてエレミヤが捕囚の民に希望を語ったことばが、はじめに書いたエレミヤ書2911節のみことばです。

「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている――主のことば――。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

将来に向けて、私たちは心にいろいろな計画を思いめぐらします。しかし、実際のところ人には一瞬先のことさえわかりません。

人の歩みを確かにするのは、ただ一人の方、主なる神のみであることを聖書は伝えます。エレミヤはエレミヤ書1023節でこう語ります。

「主よ、私は知っています。人間の道はその人によるのではなく、歩むことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないことを。」

この言葉はもちろん現代の私たちにも当てはまります。コロナウイルスによって私たちの生活は瞬く間に変化を余儀なくされましたが、去年の今頃このようなことになると誰が知っていたでしょうか。多くの人が自分で立てた計画を早急に変更せざるを得なかったのではないでしょうか。私たちは、自分の命がいつ終わるのかさえも知らされていません。それは明日かもしれないし、数十年後かもしれません。

私たちの歩む道は、思ったようにはいかないことがあります。しかしその思ったようにはいかなかった苦しみによって、私たちの人生は素晴らしいものになり得る可能性を持っています。ユダヤの民が捕囚を経験したこと、それは何より、エレミヤがその預言の中で伝え続けた、希望を顕す機会として用いられたものでした。ユダヤ人たちは神によって捕囚から救出され、その歴史は救い主キリストへとつながっていきます。

人の道は主の目の前にあり、主はその一つ一つに目を配っておられます。

私たちが主に頼ることを始めたとき、主が愛によって私たちの道を開いていくことを知ることになります。

自分の力ではどうしようもなくなったとき、年若いエレミヤのようにただ主により頼めば、主は捕囚の民に将来と希望の計画を示して彼らを救ったのと同様に、私たちの人生を最高傑作にしてくださいます。それは死すらも、永遠の命への門出として勝利に導きます。主は、生きておられます。

エレミヤ書29章11節をもう一度読んでみてください。

「わたし自身、あなたがたのために立てている計画をよく知っている――主のことば――。それはわざわいではなく平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」

これにつづくエレミヤ書2912〜14節にはこのように書かれています。

「あなたがたがわたしに呼びかけ、来て、わたしに祈るなら、わたしはあなたがたに耳を傾ける。あなたがたがわたしを捜し求めるとき、心を尽くしてわたしを求めるなら、わたしを見つける。わたしはあなたがたに見いだされる――主のことば――。」

 聖書はどんな道の先にも希望があることを約束しています。希望は私たちの道を照らす道しるべです。19世紀に生きたイギリスのクリスチャン、ジョージ・ミュラーにはこんな話があります。ある時彼は教会の説教をするために船に乗ってそこへ向かっていました。そこで船は濃い霧によって行く手を阻まれてしまいます。船長にこの濃い霧の中では予定通りに到着することはできないと言われたジョージ・ミュラーは「これまで57年間説教の奉仕を欠かしたことはないので、神は必ず自分を予定通りに目的地へと導くだろう」と話します。船長はこの人は頭がおかしいのだろうかと思い「この霧がどれだけ濃いのかご存知ですか。」と彼に語ります。するとジョージ・ミュラーは船長にこう答えました。「霧の濃さではなく、生ける神に目を止めているのです。私が神を知ってから57年になりますが、主が私の祈りを聞かれなかった日は一日もありません。」そして彼が祈ると霧は晴れ、船は予定通りに到着しました。

 ジョージ・ミュラーの目はいつも、濃い霧という目の前の状況ではなく生ける神を見ていました。彼は生涯失望することなく神に信頼し、祈りによっていくつもの孤児院を建てました。彼の歩みは、エレミヤがユダヤの民に示した歩みです。これが、いつの時代も変わらない、信仰による歩みです。希望を見て歩む道、生ける神を見つめて歩む道、それが信仰の道です。神はみことばによって、信じる者に将来と希望を与える計画を約束しています。

佐藤真理子(さとう・まりこ)

東洋福音教団沼津泉キリスト教会所属。上智大学神学部卒、上智大学大学院神学研究科修了、東京基督教大学大学院神学研究科修了。
ホームページ:Faith Hope Love


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

twenty − 1 =